『坊っちゃん』感想 落語を知ってから読むと倍楽しい #坊っちゃん #漱石

これはね、思うに、漱石なりの落語のシナリオだったんじゃないかと思うんですな。

明治期の文学者、夏目漱石の中編小説。初出は「ホトトギス」[1906(明治39)年4月。親譲りの無鉄砲で江戸っ子気質の主人公「坊っちやん」が四国の中学校に数学教師として赴任し、わんぱくな生徒たちのいたずらにあったり、教頭の「赤シャツ」一派と数学教師「山嵐」との内紛に巻き込まれ、正義感に駆られて活躍するが、最後には辞表を出してただ一人の理解者のばあやの清の待つ東京に戻る。漱石は1895(明治28)年から翌年にかけて、松山中学の英語教師だった。その体験が元になっていると言われる。歯切れのいい文章と「坊っちやん」の個性の魅力によって、多くの人に愛読されている作品の一つである。

まだ髭も生えないような時分に読んで依頼ですが、あれからあたくしも随分と色んな経験をしました。改めて読む、すると、今までわからなかった魅力がグンとよく分かる。むしろ今まで何を味わっていたのだという感覚にすら、なる。

これが人間の年輪を経た楽しみと、文学が一生の趣味足り得る理由であります。

こと、この『坊っちゃん』に関して言えば、落語を知らずに読むと楽しさ半減です。間違いない。

漱石が二代目小さんや円窓を褒めていたのは有名ですが、彼もまた寄席に魅了された一人だったわけです。タレ義太にハマったというのも有名。

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画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした 透綾 の羽織を着て、 扇子 をぱちつかせて、お国はどちらでげす、

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今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。

これなんか、落語に出てくる嫌な太鼓持ち、そのまま。のだいこを縮めて”のだ”と言ったり、啖呵の威勢良さだったり、間違いなんく落語仕込みでしょう。じゃなかったら、きっぷの良さ、威勢良さ、江戸っ子らしさの説明がつかない。彼なりの新作落語のつもりで作ったんじゃないかしら。

位置: 289
それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような 無鉄砲 なものをつらまえて、生徒の 模範 になれの、一校の 師表 と 仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を 及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で 遥々 こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。

位置: 348
少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。 麻布 の 聯隊 より立派でない。大通りも見た。 神楽坂 を半分に狭くしたぐらいな 道幅 で 町並 はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと 威張ってる人間は 可哀想 なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。

この斜に構えた感じと田舎をバカにした感じ。江戸っ子のいいところと悪いところ、両方出てますね。漱石も腹ん中じゃこんなふうに思っていたのかしら。猫とか読む限りじゃ、とても江戸っ子とは思えないけど。

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ない。 喧嘩 なら 相撲取 とでもやってみせるが、こんな 大僧 を四十人も前へ 並べて、ただ一枚 の舌をたたいて 恐縮 させる手際はない。しかしこんな 田舎者 に弱身を見せると 癖 になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も 烟 に 捲かれてぼんやりしていたから、それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の 真中 に居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる 遣って、おくれんかな、もし」と云った。 おくれんかな、 もし は 生温 るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり云ってやるが、おれは江戸っ子だから 君等 の言葉は使えない、 分らなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。

むしろ、漱石は江戸っ子じゃないからこそ、明治になって変わった江戸が悔しかったのかしら。ノスタルジーで書いているのかも。落語そのものが、ノスタルジーの塊ですからね。意外と相性がいいのかも。

位置: 418
三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、三時までぽつ 然 として待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を 掃除 して 報知 にくるから検分をするんだそうだ。それから、 出席簿 を一応調べてようやくお 暇 が出る。いくら月給で買われた 身体 だって、あいた時間まで学校へ 縛りつけて机と 睨めっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな 大人しくご規則通りやってるから新参のおればかり、だだを 捏ねるのもよろしくないと思って 我慢 していた。帰りがけに、君何でもかんでも三時 過 まで学校にいさせるのは 愚 だぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから 真面目 になって、君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら 僕 だけに話せ、 随分 妙な人も居るからなと忠告がましい事を云った。四つ角で分れたから 詳しい事は聞くひまがなかった。

短い文章をリズミカルに続けてテンポよく物語を進める。漱石はねっちりと語るときはごく詳細に書くし、そうじゃないときはテンポを早める。そのへんの緩急も好きね。

位置: 457
おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな 影響 を

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えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を 呈 するかまるで 無頓着 であった。おれは前に云う通りあまり度胸の 据 った男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ 行く 覚悟 でいたから、 狸 も赤シャツも、ちっとも 恐しくはなかった。

自分を客観的にみている、風の文章。この軽い自虐性と軽い自負。バランスいいなぁ。

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一時間あるくと見物する町もないような 狭い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を 日露戦争のように 触れちらかすんだろう。 憐れな 奴等 だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、 植木鉢 の 楓 みたような 小人 が出来るんだ。 無邪気 ならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ。小供の 癖 に 乙 に毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが面白いか、 卑怯 な冗談だ。君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑われて 怒るのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始めてしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って来てやった。

しかし、漱石ほど日露戦争を持ち出す人もいないんじゃないか。それほど日露戦争は悪魔的魅力にみちたものだったのか。そして生徒の小憎らしさ。東京なんぼのもんじゃい、と思っていたんでしょうね。

どんくらい事実かはおいといて、30を超えて読むとまた違った面白さがありました。また、落語を経たというのも大きい。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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