『Running Pictures―伊藤計劃映画時評集1』感想 あたくしそもそも映画それほど

そもそも、あたくし映画そんなに好きじゃない。

「マトリックス」「シックス・センス」「ファイト・クラブ」「トゥルーマン・ショー」「007/ワールド・イズ・ノット・イナフ」――デビュー以前に著者が運営していたウェブサイト「スプークテール」で書き続けられていた映画時評67本+αを、2分冊で完全集成。数々の名作とほんの少しの「トンでもない」作品が、伊藤計劃のあらたな視点と映画に対する大いなる愛情をもって語り直される。第1巻は44本を収録。

観るのは嫌いじゃないけど、あんまり映画ファンとの視点が合わないんですよね。
あくまで娯楽として消費する感じ。

『マッドマックス』とか、ファンほど熱狂できない。
映画ファンは阿呆なくらい熱狂するようですがね。

プライベート・ライアン

位置: 692
「ひめゆりの塔」「きけ、わだつみの声」「君を忘れない」など、日本の「反戦的な」戦争(戦中)映画の根本的な弱さは、そこにあった。戦争に対する憎しみの全てを、「物語」で語ってしまおうという怠慢。キャラクターを襲う悲劇的な運命に語りの全てを集約させるという、安直極まる手法。そこが日本映画人の糾弾すべき怠慢さだった。
しかし、この映画に、物語はないも同然だった。
ただ、屍体のみがあった。
この「プライベート・ライアン」は、ことさら反戦を標榜したりはしない。

あれはたしかに物語としてはイマイチだったけど、画がすごかった。
観てて目を背けたくなるような銃弾描写。あれは本当にエグい。

リアルかどうかはわからんが、リアリティはあった。もう一度みたいとあんまり思わないくらいの衝撃がある。残虐性を好む思春期ですら、ちょっと目を背けた記憶があります。

位置: 702
語るのではなく、描写すること。
説教するのではなく、突き付けること。
ここには、英雄的な死などありはしない。

いい言葉。

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