殊能将之著『ハサミ男』感想 二度読んでやっと分かった

2023年8月25日 podcast追加


二回読ませる叙述トリックという点で、かなり名作であることは間違いない。

美少女を殺害し、研ぎあげたハサミを首に突き立てる猟奇殺人犯「ハサミ男」。3番目の犠牲者を決め、綿密に調べ上げるが、自分の手口を真似て殺された彼女の死体を発見する羽目に陥る。自分以外の人間に、何故彼女を殺す必要があるのか。「ハサミ男」は調査をはじめる。精緻にして大胆な長編ミステリの傑作!

『殺戮に至る病』に続き、名作叙述トリックものとして読みました。ほんとは「叙述トリックと知ってから読みたくない」んですけどね。知っちゃったものは仕方ない。

殺戮ほどの切れ味はないけど、ユーモアでは上回りますね。二重人格も、基本的にはタブーだと思っていますが、あくまで追加要素なので許容です。

位置: 81
ハサミ男の人気低落を残念がっているのではない。マスコミが関心を失ったのは、むしろ、ありがたいことだった。
小西 美 菜 が埼玉県で殺害されたときもそうだったし、 松原 雅 世 が 江戸川区の湾岸で殺害されたときもそうだった。犠牲者さえ出れば、いやでもマスコミは騒ぎだす。それまでハサミ男の話題はなるべく目立たないほうがいい。できれば、ハサミ男の名は忘れてもらいたかった。

すでにミスリーディングは始まっている、という事実。
いや、確かにこれはやられますよね。

位置: 485
わたしから見ても美人だと思えるくらいだから、同世代の男子生徒には、さぞかしもてることだろう。

↑の記載、今にして思えばなるほど、ヒントではある。しかし、読み飛ばしちゃうよね。

位置: 509
そのとき、明るい笑い声がかすかに響いた。それまで黙って聞き入っていた樽宮由紀子が、いかにも楽しそうに目尻を下げ、口元に手をあてていた。
彼女が声をあげて笑うところを初めて見た。男性も珍しく思ったのか、一瞬とまどったような奇妙な表情を浮かべたが、すぐに静かな微笑を返した。何者であれ、樽宮由紀子とかなり親しい間柄らしい。
ふたりは三十分ほどで店を出た。

ここもね、曲解を与える。よく考えられていますなぁ。

位置: 1,980
「修行一筋に打ち込んできた坊主は、本人は悟りを開けるかもしれないが、葬式や法事には役に立たないと思うね。あの坊主や葬儀社の男は冷たいんじゃない。プロフェッショナルなだけさ。俺はプロは尊敬するよ」

こういう本筋と関係ないところで、唸るようなことを書いておいて、本筋から興味を少しずつそらさせるテクニックね。さすがプロ。

位置: 2,135
「勘や経験は大事だ。でもな、それだけじゃ真実はつかめない。もっと大事なのは事実だよ。勘や経験は、いかにすばやく事実をつかむかという道案内の役目しかしてくれない。

これもそう、良いこと言う。しかし、ここで感心してしまっては本筋を見失う。

位置: 2,630
「無動機殺人の場合は、今言ったような意味での『普通の動機』がありません。だから、どんなに遡って動機を求めても、誰も納得することはできない。そこで最終的に、犯人は頭がおかしかったとか、不幸な幼児体験をしたとか、そういった理由が見出される。人々は納得したいんですよ。なんの意味もなく、人を殺す人間がいるとは思いたくない。そういう人間を 目のあたりにしても、なんらかの意味や理由を見出したい。だから、無動機殺人者の心理を知りたがる」

確かにそうかもしれない。この事件そのものがそうだもんね。そういう「普通化」の過程を、裏切られることで楽しむというのが叙述トリックでもあるわけだ。

位置: 2,773
「樽宮さんについて話してくれるかな」
「由紀子はスケロクのファンだったわ」
気のない様子で、亜矢子は話しはじめた。 「助六?」
このはちまきの御不審か。高校生にしては渋すぎる趣味だと思った。
「スケルトン・ロック。ロックバンドの。知らない?」
亜矢子がいぶかしげに言った。

このあたりも、「おじさんが若い子の好みを知らない」というあるあるに、事象を容易に落とし込んでしまう我々の性をついてますね。

それにしても歌舞伎とはね。

位置: 2,781
そういえば、わたしが学生のころにも、イエモンと略称されるロックバンドがいた。首が飛んでも動いて見せるわ、とは歌っていなかったようだが。

思わず笑ってしまう。

位置: 2,783
「てっきり歌舞伎の助六かと思った」
と言いわけした。
「カブキにもスケロクっているんだ。やっぱりヘビメタ系?」
亜矢子が訊ねた。表情は真剣そのもので、冗談を言っているのではなさそうだった。
「そうだな。ディープ・パープルのヘッドバンドを巻いてるから、たぶんヘビーメタルのファンなんだろう」
と、わたしは答えた。

笑っちゃうよね。ユーモラスな箇所もある。これだから小説は面白い。

位置: 2,872
「昔はそういう子供にはしつけが必要だと思われていた。しかし、今では精神科医のカウンセリングを受け、リタリンを処方される」
「リタリンってなんだ?」と下川。
「抗 鬱 剤 だ。脳内にドーパミンを分泌させる薬」村木はにやりと笑って、「平たく言えば、効く時間が短い 覚醒剤」
「そいつを飲むと、気が散りやすい小学生でも学校の授業に集中できるってわけか」下川はあきれたように首を振って、「そりゃ、シャブ打つと眠らずにガンガン仕事できるってのと変わんねえじゃないか」
「そのとおりだよ。脳内物質さえコントロールすれば、万事オーケイ。俺たちの行動はすべて、偉大なる脳内物質に支配されてるんだ!」

所々にこういう面白い話題を入れるあたりが技術だよね。読ませる。

位置: 3,406
イソベのほうは、おそらく、わたしより年下だろう。真ん中から分けた髪の下に、逆三角形の顔。背もムラキより高く、なかなか整った顔だちの二枚目だった。  にもかかわらず、一見して頼りなさそうに見える理由は、童顔のせいもあったが、その目にあった。いつも目が泳いでいるのだ。

ここも絶妙な伏線になってる。なるほど、いい仕事してる。

位置: 4,208
「こう考えたことはないかね?」
不意に顔を上げると、
「ある抑圧のせいで、こんな老人めいたご面相になってはいるが、本来は、ぼくのほうが中心的な人格なのだと。きみはぼくがつくり出した妄想人格にすぎない。そう考えたことはないか」
わたしにはあいかわらず、医師が何を言いたいのか、まるで理解できなかった。

ハサミ男は二重人格だった、ってね。
このトリック自体が肝だったら納得出来ないけど、あくまで添え物なので許容。

位置: 4,243
「あなたは公園でわたしといっしょに死体を見つけた人ですね」
わたしは樽宮由紀子の死体を発見した夜、公園で聞いた男と刑事との会話を思い起こして、
「確か、ヒダカさんだったかな」
「そうだ。おひさしぶりだね、 安永 知 夏さん」

ここで初めて、ハサミ男が安永知夏という女性であることが明記されます。

位置: 4,444
男は自嘲気味の笑いを漏らした。
「長いあいだ、ずっときみに会いたかったよ、ハサミ男くん」
「ぼくも会いたかったよ、樽宮由紀子殺しの真犯人くん」
冷蔵庫の横から、医師が声をかけた。男の顔色が変わった。
そう、彼は学芸大学駅前のファストフード店で樽宮由紀子と会っていた男だった。

さらに畳み掛けるように色々な謎が明らかに。このあたりのエンタメ感はさすが。

位置: 4,457
「いいかげんにしろ」
わたしはがまんしきれずに怒鳴った。
「こんなときに引用癖なんか出すな」
男はなぜか哀れむような表情になっていた。

このあたり、小説だと明記はされていないんですが、多分一人二役、それこそ落語のように話しているんですかね。

位置: 4,627
「ぼくは由紀子と待ちあわせ、ハンバーガーショップでそんな話をした。きみが目撃したという光景だよ。ぼくは自分の思いを伝え、結婚しよう、と由紀子に言った。すると、由紀子は笑い出した」
わたしはファストフード店で見た樽宮由紀子の笑顔を思い出した。いかにも楽しそうに声をあげて笑う彼女を見たのは、最初で最後だった。
「そして、こう言った。妊娠したなんて噓よ。警視庁の偉い人がどのくらいお金を出せるものか知りたかったから、試してみただけ。それに、悪いけど、あなたと結婚するつもりはないわ」
男の声に深い憎しみがにじみ出していた。
「ぼくをあざけるわけでも、からかうわけでもなく、ごくあたりまえのことのように、そう言いやがった」

殺したのはアメリカ帰りのいけ好かない警視正の方だった、というはなし。
しかし、ここのすれ違いはコントのようで面白いですな。

位置: 4,726
「あなたはなんて人だ。十六歳の少女を殺したうえ、何があったか知らないが、ふたりの遺体発見者まで手にかけようとするなんて……信じられない」

ほんと、コントですよね、ここは。面白い。

位置: 4,787
話し方もぶっきらぼうだった。二日酔いだと言っていたから、そのせいかもしれない。

そう解釈されるか!という面白さ。

位置: 4,789
知夏は化粧もしていなかったし、ダイエットにも関心がないらしく、ふっくらした健康的な体つきをしていた。

男ってそういうところ、あるよね。

位置: 4,796
「あんな遅い時刻に、どうして鷹番にいらしたんですか? それも、人通りの少ない路地に」
村木が、なぜそんな関係のない質問をするんだ、という顔で磯部を見た。

いや、ほんと、よく出来てる。「そういう意味になるのか……!」という驚き。
数時間前の自分と全然解釈が変わる面白さ。

位置: 4,844
「次に来たのは、アルバイト先の社員の佐々塚という男。ひどく心配そうな顔つきをして、元気づけてくれたのはありがたいが、手まで握ろうとしたんで、三分で追い返した」知夏はにこやかな笑顔を浮かべて、「あいつ、あたしに気があるんですよ」

喋ってるのは医師かな。

位置: 5,210
医師は声を出して笑った。だが、その笑いは中断された。
「いかん、ライオス王のお出ましだ。ぼくはあいつが苦手でね。このへんで失礼する

まったく便利な設定だね。

位置: 5,219
ええ、パパ。はい、パパ。わかってるわ、パパ。心配しないで、パパ。そんなことはないわ、パパ。それはだめよ、パパ。
誰かが医師そっくりの男に返事をしていた。暗い洞窟の奥から響いてくるような、うつろな声だった。その声はわたしのものでも、医師のものでもなかった。

これ、対パパ用の人格があるのかもしれないですね。これが本流なのかも。

本流がお嬢様で、主格が医師で、ハサミ男がまた別にいて。
たしかに、元来、多重人格ってミステリでは禁じ手だとは思いますね。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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