米朝師匠の著書を読まなきゃ…

先日、お亡くなりになられた桂米朝師匠。
江戸落語でいうなれば圓朝くらいの仕事をなさった方だと認識しております。
上方落語の中興の祖。

買ったけど読んでいない本の中にこれがあります。

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落語と私。
とあるブログで紹介されていた一文に感銘を受け、そのままポチリ。
しかし積んであるままになっているのです。

 芸人はどんなにえらくなっても、つまりは遊民(何の仕事もしないで暮らしている人)なのです。世の中の余裕——おあまりで生きているものです。ことに、落語というものは、「人を馬鹿にした芸」なのですから、洒落が生命(いのち)なのです。
わたしがむかし、師匠米団治から言われた言葉を最後に記します。
『芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良(え)えの悪いのと言うて、好きな芸をやって
一生を送るもんやさかい、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみ
がく以外に、世間へお返しの途(みち)はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで』

いい言葉ですね。おあまりで生きる。世の中の余裕で生きる。
森見登美彦の新作が出て、今夢中で読んでいますが、米朝師匠の本も読まなきゃ。
自分も生きてるうちに、ね。

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