『吉原御免状』 昭和保守おじさんの冒険活劇オヤジ俺tueeエンターテイメント時代小説!!

400ページちょっととは思えない情報量でした。

宮本武蔵に育てられた青年剣士・松永誠一郎は、師の遺言に従い江戸・吉原に赴く。だが、その地に着くや否や、八方からの夥しい殺気が彼を取り囲んだ。吉原には裏柳生の忍びの群れが跳梁していたのだ。彼らの狙う「神君御免状」とは何か。武蔵はなぜ彼を、この色里へ送ったのか。――吉原成立の秘話、徳川家康影武者説をも織り込んで縦横無尽に展開する、大型剣豪作家初の長編小説。

勧善懲悪、ロマン主義、俺tuee、オヤジ的エロス……。
下世話な言葉でも飾っていいならその手の話。

なんたって舞台が吉原。
だからあたくしも手にとったわけですが、気軽に手にとって読めるような情報量ではありません。

だって内容は、吉原の物語にとどまらず、秀吉小田原征伐から雑賀衆攻めから影武者・徳川家康説から明智光秀生存説から秀忠やり手説から。
とにかく戦国~江戸前半の前提知識が幅広く求められ、むしろそれがないと面白さ半減。
読む人を大変に選びます。

だが、そこがいい。

特に好きなのは秀忠=ビビリだからこそのやり手 説。
こういう卑怯者の生存戦略は楽しいですね。

んで、そういった時代背景の上で、冒険活劇ハードボイルド味で展開されるロマンエンターテイメント小説がこちら。

文字通り山の中から出て来た野性の男など、今までの客の中には一人もいなかった。高尾は、誠一郎が座をはずしたのを、むしろ当然の行為と観た。水野に誘われて屋根にのぼったのも、いっそすがすがしい振舞いと感じた。そこで再度の狼狽におそわれたのである。いつのまにか、自分が誠一郎を好いているのを知った。同時に、太夫として、この野性の振舞いを咎めるべきであることも知っている。だが、ここで席を立てば、二度と再び誠一郎に会う機会のないことは明白だった。遊女になって初めて高尾はどうしていいか分らなかった。その困惑が、自然に涙となって溢れ出ただけのことだったのである。
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この俺tuee感じとラノベ主人公的なモテ感ね。
意外とオヤジと中二病患者の食合せは悪く無いのか。

跳びながら双刀居合の術で抜いた誠一郎の二刀は、正面で跳躍しかけた職人風と手代風、二人の柳生者の首を切断している。二つの首が、生あるもののように、宙に舞った。次いで誠一郎はうしろの地廻りが跳躍台に使おうとした浪人風の男の頭上に着地した。その踵が男の頭蓋骨を微塵に砕いた。三人を斃して、誠一郎の動きはまだとまらない。踏み砕いた頭を蹴って、更に右前に跳んだ。既に落下の姿勢に移った柳生者二人を袈裟に斬り、身体を起しかけた内円の男の顔面を蹴り砕いて、やっと地べたにおり立った。実に、一息に六人を斃したのである。
at location 2246

無双。まさに無双。
これもラノベ主人公ぽいといえばそうか。文章の力に歴然とした違いはあれど、感性は似ていると思います。

顔や手足の化粧には精出すくせに、大事な場所の手入れには無関心な当代のギャルの如きは、初期吉原の洗練された遊君たちから見れば、鼻の曲る如き悪臭を放ち、茨のような剛毛をほしいままに生やした、醜悪・尊大なる地女ということになるだろう。
at location 3136

おい、オヤジ!ギャルの大事な場所を観察して研究してこその意見でしょうね?
まさか大歴史作家様たるものが、想像でギャルのお股について書いているわけ無いでしょうから。ね?そうだよね?

と言いたくなるようなオヤジ臭。たまらんよ。
隆慶一郎さん、相当な保守おじさんですよ。

「情が深えっていうのはな、おい、手前の感じていることを、とことんまで味わい尽すってことなんだよ。嬉しけりゃ、他人まで嬉しくなるくれえ喜ぶ。悲しけりゃ、はたも泣きたくなるほど嘆く。辛いとなった日にゃ、どん底まで落ちて呻くんだ。そこまで正直になれる男ぁ、千人に一人、万人に一人もいやしねえよっ。大抵はいい加減なところで折合いをつけて、手前の気持を手前で誤魔化しちまうんだ。誠さんはそんなみみっちい真似はしねえんだよっ」  しまいには、幻斎自身が泣いているような、そのくせ吼えるような大声になっていた。なんと、その眼からは、果てしもなく涙が流れている。  一座はしいんとなった。 「泣きゃぁいいんだ、泣きゃぁ。一度、思い切り泣きゃぁ、ちっとは楽になるんだ。けど、いけねえ。あのお人にゃぁ、そいつが出来ねえんだ。辛いよなぁ。たまんねえよなぁ。替れるものなら、替ってやりてえよっ」  八十を越した老人とは、とても思えない激情を見せて、血を吐くようにいいつのる幻斎の悶える姿を、遠く江戸町一丁目の待合の辻で、肉眼で視るようにまざまざと心眼で視ている者があった。
at location 5835

とか何とか言っていたらね。これですよ。
いい啖呵だ。近頃聞かねぇような、トーンと胸にくるやつ。
いいですよ、いいです。こういう啖呵がスラスラっとリズムを持って文章になる人は実はそう多く居ない。

すべての男にとって、娼婦の膝は母の膝にかわる、と云う。男は無意識裡に母の姿を求めて、娼婦のもとに赴くともいう。
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とか何とか言ったらまた名言でました。「すべての男にとって、娼婦の膝は母の膝」てか。
マザコンと娼婦姦淫の肯定ですよ。はぁ。さすがです。違いますよ、昭和の保守おじさん。

幻斎がとび出した。裸足のまんま踊りだす。誠一郎はその振りを真似ながら後についた。高尾が、そして切見世の女たちがそれに続いた。長い行列になった。そのまま『みせすががき』の音にのって、京町二丁目から水戸尻に出、そこから逆に仲の町を大門に向う。踊り手は、ゆく先々で増えていった。太夫が、格子が、遣手が、禿が……やがて亡八から消炭、首代、帳づけまでまきこんで夥しい踊り手の大群にふくれ上った。その大群衆の中で揉まれながら、誠一郎は無我夢中で踊っている。 (いいじゃないか。修羅へ落ちよう)  踊りながら、一つの決意が、はっきり固まってゆく。 (こんな素晴しい獣たちのために、喜んで修羅に落ちよう) 『みせすががき』の三味のほかに、太鼓、鼓、笛までまじって、この時はずれの傀儡子舞はいつまでもいつまでも、五丁町の中を荒れ狂っていった。
at location 5977

そして最後のこれ。
いい文章ですよ、リズムのある。

敬愛する『太陽の塔』by森見登美彦でもそうでしたが、物語のクライマックスには踊りが似合いますね。
一番カタルシスが自然に出る。
(こんな素晴らしい獣たちのために、喜んで修羅に落ちよう)なんて、素敵なセリフですよ、ホント。

いい読書体験でした。読むのに疲れたけど、そうとう濃かった。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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