『蹴りたい背中』 私小説やなぁ……。

芥川賞っぽい作品というか、私小説やなぁ、というか。
何も起こらないというのがこの作品の大切なところ、というか。

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第130回芥川賞受賞作品。高校に入ったばかりの“にな川”と“ハツ”はクラスの余り者同士。やがてハツは、あるアイドルに夢中の蜷川の存在が気になってゆく……いびつな友情? それとも臆病な恋!? 不器用さゆえに孤独な二人の関係を描く、待望の文藝賞受賞第一作。

友情?それとも恋?
なんてキャッチコピーは無粋でしょう。そういうもんじゃない。

そもそも私小説とキャッチコピーの相性は悪いか。

とにかく何も起こらない。そして、ただ感情が垂れ流されるのを気持ちよく見られる。そういう意味じゃ、ほんと、正当な純文学といっていいんじゃないでしょうか。

これを読んで「意味わからん」というのも全うな感想足り得る、というのもそうでしょう。実に不毛で、実に文学的。

文学好きには賛否両論で、それもまた良し。誰かのための一冊となるのであれば、文学にはそれ以上の価値はないです。

 私は、余り者も嫌だけど、グループはもっと嫌だ。できた瞬間から繕わなければいけない、不毛なものだから。中学生の頃、話に詰まって目を泳がせて、つまらない話題にしがみついて、そしてなんとか盛り上げようと、けたたましく笑い声をあげている時なんかは、授業の中休みの十分間が永遠にも思えた。自分がやっていたせいか、私は無理して笑っている人をすぐ見抜ける。大きな笑い声をたてながらも眉間に皺を寄せ、目を苦しげに細めていて、そして決まって歯茎を剥き出しそうになるくらいカッと大口を開けているのだ。顔のパーツごとに見たらちっとも笑っていないからすぐ分かる。絹代は本当はおもしろい時にだけ笑える子なのに、グループの中に入ってしまうと、いつもこの笑い方をする。あれを高校になってもやろうとする絹代が分からない。
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この無気力感、やれやれ感。
中二病と書くにはあまりに繊細であまりに脆い。
いい表現だなぁ。

 空けられたスペースには座らずに、輪を回避して後ろに続いている列に並ぶと、絹代は、なんでー、と不服げな声を出した。でも私に近寄ってきたりはせずに、輪の中にとどまったままだ。吹奏楽部の女子がわざとらしく絹代の肩を抱き、なぐさめる。絹代は穏やかな大人っぽい表情になり、何やら深く頷いている。寒気がした。毎時間の休みを一緒に過ごし、毎日お弁当を一緒に食べ、共に受験をした友達が、私を、新しくできた友達とより友情を深めるための道具にしている。
at location 868

いいですねぇ。情感たっぷり。
大人になっても、そういうことって、あるよ。

「地震が起きたらいいのにな。」
呻くようにして呟かれた声を、私は聞き逃さなかった。オリチャンのMCと、合いの手の観客のハイな笑い声の合間をぬって聞こえてくる声に耳を澄ます。
「他の観客の奴らがパニックになって出入口に殺到しても、おれは一人舞台によじ上って、頭上で揺れてる照明器具にびっくりして動けないオリチャンを、助けるんだ。」
でも彼は絶対に地震が起こらないことが分かっている、絶望的な瞳をしている。こんなにたくさんの人に囲まれた興奮の真ん中で、にな川がさびしい。彼を可哀相と思う気持ちと同じ速度で、反対側のもう一つの激情に引っぱられていく。にな川の傷ついた顔を見たい。もっとかわいそうになれ。
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隠さない本音がしっかり。
そういうことよ。「可哀想と思う気持ちと同じ速度で」なんていいじゃないですか。
文学的で詩的で私的。素晴らしい。

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