『ノルウェイの森』の永沢さんに同情も共感も反発もしない

ミドリの性的好奇心にたじたじになる人生を送りたかった。

p54
「あなたってそういうことでも礼儀正しいのね」と緑は言った。「私、あなたのそういうところ 好きよ。でもね、一回くらいちょっと私を出演させてくれない? その性的な幻想だか妄想だか に。私そういうのに出てみたいのよ。これ友だちだから頼むのよ。だってこんなこと他の人に頼 めないじゃない。今夜マスターベーションするときちょっと私のこと考えてね、なんて誰にでも 言えることじゃないじゃない。あなたをお友だちだと思えばこそ頼むのよ。そしてどんなだった かあとで教えてほしいの。どんなことしただとか」
 僕はため息をついた。
「でも入れちゃ駄目よ。私たちお友だちなんだから。ね? 入れなければあとは何してもいいわ よ、何考えても」

こんなこと言われて冷静にため息がつける主人公も主人公だし、何よりこれを言わせる春樹も春樹だ。どこまでリアルなんだ。

あたくしも男子校育ちで、その時にノルウェイの森読んだんで、大学に入ったらこんな女子がいて性的な妄想を強要されたりしてウハウハ……なんてこと考えもしました。しましたが、現実は厳しかったですね。

p57
「ねえワタナベ君、英語の仮定法現在と仮定法過去の違いをきちんと説明できる?」と突然僕に 質問した。
「できると思うよ」と僕は言った。
「ちょっと訊きたいんだけれど、そういうのが日常生活の中で何かの役に立ってる?」
「日常生活の中で何かの役に立つということはあまりないね」と僕は言った。「でも具体的に何 かの役に立つというよりは、そういうのは物事をより系統的に捉えるための訓練になるんだと僕 は思ってるけれど」
 緑はしばらくそれについて真剣な顔つきで考えこんでいた。「あなたって偉いのね」と彼女は言った。

あたくしはそういう系統的なものが苦手です。大学も出たけれど。
系統立てて説明できることが、結構大事なんだってすでに20かそこらで気づいちゃってるんだな。物語だけど。

p64
「お父さん?」と僕はびっくりして言った。「お父さんはウルグァイに行っちゃったんじゃなか ったの?」
「嘘よ、そんなの」と緑はけろりとした顔で言った。「本人は昔からウルグァイに行くんだって わめいてるけど、行けるわけないわよ。本当に東京の外にだってロクに出られないんだから」

ここはちょっとびっくりした。小説のキャラは嘘をつかないという下手なお約束を信じてしまっていたから。登場人物に嘘をつかせるとあとあと面倒なんでね。しかし見事に引っかかった。こういうの楽しい。

p112
「私が我慢できないのはあなたのそういう傲慢さなのよ」とハツミさんは静かに言った。「他の 女の人と寝る寝ないの問題じゃないの。私これまであなたの女遊びのことで真剣に怒ったこと一 度もないでしょ?」
「あんなの女遊びとも言えないよ。ただのゲームだ。誰も傷つかない」と永沢さんは言った。
「私は傷ついてる」とハツミさんは言った。「どうして私だけじゃ足りないの?」
 永沢さんはしばらく黙ってウィスキーのグラスを振っていた。「足りないわけじゃない。それ はまったく別のフェイズの話なんだ。俺の中には何かしらそういうものを求める渇きのようなも のがあるんだよ。そしてそれがもし君を傷つけたとしたら申しわけないと思う。決して君一人で 足りないとかそういうんじゃないんだよ。でも俺はその渇きのもとでしか生きていけない男だ し、それが俺なんだ。仕方ないじゃないか」
ハツミさんはやっとナイフとフォークを手にとって鱧を食べはじめた。「でもあなたは少くともワタナベ君をひきずりこむべきじゃないわ」
「俺とワタナベには似ているところがあるんだよ」と永沢さんは言った。「ワタナベも俺と同じ ように本質的には自分のことにしか興味が持てない人間なんだよ。

永沢さん、大変に立派な悪役でいらっしゃる。どれくらいの人間が彼に共感するのか、逆に反発するのか。あたくしは昔は反発し、今はどちらもしません。共感も反発もしないでおく、ということが出来るようになったのが大人になることかもしれません。

人の理論を傷つけない、というのは大切。

p154
「ねえ、ねえ、ねえ、何か言ってよ」と緑が僕の胸に顔を埋めたまま言った。
「どんなこと?」
「なんだっていいわよ。私が気持良くなるようなこと」
「すごく可愛いよ」
「ミドリ」と彼女は言った。「名前つけて言って」
「すごく可愛いよ、ミドリ」と僕は言いなおした。
「すごくってどれくらい?」
「山が崩れて海が干上がるくらい可愛い」
緑は顔を上げて僕を見た。「あなたって表現がユニークねえ」

突然登場人物がおばちゃんになる現象ね。
そしてこの主人公はユーモラス。しかしミドリはこのあたりになると適度に我儘でいいね。

p170
「冗談だよ」と永沢さんは言った。「ま、幸せになれよ。いろいろとありそうだけれど、お前も相当に頑固だからなんとかうまくやれると思うよ。ひとつ忠告していいかな、俺から」
「いいですよ」
「自分に同情するな」と彼は言った。「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
「覚えておきましょう」と僕は言った。そして我々は握手をして別れた。彼は新しい世界へ、僕 は自分のぬかるみへと戻っていった。

かっこいいんだな、永沢さんは。自分に同情するな、か。
しっぱなしの人生だな、あたくし。

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