『笛壺』も面白い『或る「小倉日記」伝―傑作短編集(一)』by松本清張

やっぱり長編よりも短編に味わい深さを感じます。
長い物語を構成するというのは独特の才能が必要なんだな、とつくづく感じます。

まずは『笛壺』

位置: 1,993
おれが幼いころ、おやじは女をつくって家出し、零落して木賃宿住まいをしていた。おれはそこに二三日いたことがあったが、そのときの宿のわびしいありさまは子供心に 灼きついて忘れていない。おれは若い時分から自分の息を引きとる時の場所が、そのような所ではないかという遠い予感をもってきた。

自分の死に場所をなんとなく想像する、という経験は他の人にもあるんじゃないかしら。
あたくしだけ?あたくしは結構あるんですよね。

きっと、畳の上だなー。

位置: 2,023
おれは貞代が好きなのではない。それどころか憎んでいる。この女の広い額や、縮れた髪の毛や、大きな 眼 や、 尖った鼻や、薄い 唇 など、人なみより大きな顔の道具立てに限りない 嫌悪 と憎悪を感じながら、この女の 身体 から 脱 れることができない。世のあらゆるものが空虚になったおれには、貞代の身体に没頭する時だけが充実感を与える。七十近い老いて 痩せたおれの身体は、この女を憎みながらその充実感をしゃぶっている。形には見えても、手を触れれば空気のように 虚しいこの世の現象に、この白い 脂 がのって 象牙 のようにすべすべした固体だけは 手応えがあった。

70過ぎたおじいさんの性的な開放。
文字じゃなければとてもじゃないけど正視したくないものでも、文字だとすらすら実感をもって読める。そこに実感のようなものが、ある気がする。

清張先生もそうだったのかしら。

位置: 2,039
学問も、先輩も、友人も、おれは一挙にうしなった。恩師は怒っておれを捨てた。貞代という女に没入したその代償の高価に人は 嘲笑 した。しかし、これも失ってみれば、いつかはそんなことになる 儚いものであった心がする。まだ貞代の身体のほうが確かである。

末期的。

位置: 2,094
この 賑やかな肩書は年々に装飾品のようにふえていったのだが、そのわりに先生の学問上の業績には見るべきものがないのに心づいた。その著書の「日本文化史 攷」にしても「中世封建社会の生活と文化」にしても学者たちを満足させる学問的な研究ではなかった。
後進の結婚の媒酌をすすんでするように、学界での世話をよくすることが、先生の本領であった。確執があればそれを調停し、勢力争いが表面に出ようとすれば、それをまるくおさめた。 嫉妬、中傷の 坩堝 である学界では、先生のそういう手腕は必要であり、便利であった。いつのまにか先生は顔役となり、優れてはいるが 圭角 のある学者よりも先に地位ができてきた。ぬけめなく自分の勢力も養った。
先生がそういう政治家でしかないと知ったとき、おれは目前の巨大な物体がガラスのように透いて見えたような虚しさを感じた。

こういうときに「政治家」って悪い意味でしか使われないよね。
どこでだって政治力は必要だし、政治力がない方が尊いように扱われがちなのは日本の良いところでもあり悪いところでもあるように思いますが。

位置: 2,184
歩きながら話もできまいと思ったのでおれは途中でミルクホールに誘った。よい 齢 をして学生のようにミルクホールでもなかったがおれはそんな場所より以外知らなかった。

ミルクホール、というキラーワード。
今でいう喫茶店だそうな。ミルクやコーヒーを飲ませたんだとか。ケーキやカステラと一緒に。

位置: 2,277
貞代は敷いてあった蒲団を二つにたたんで 隅 に寄せ、お茶を沸かそうと支度にかかった。おれは急に、いや、酒がよい、酒があったら出しておくれ、と言った。酒の飲めないおれだったが、その場は、どうしても酒でなければならぬような気がした。貞代は笑いながら、先生、お珍しいわ、と言い、水屋から一升瓶 を出した。酒は底に三合ばかり残っていた。その酒は誰に飲ませるためにあるのかすぐわかった。おれは意地でもその酒を飲まねばならぬ気持になった。

男の嫉妬は醜い。すべての争いのもと。
百害あって一利なし。

まさにそれだ。

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