『大相撲史入門』感想 入門としては難解

いや、これ、入門編ちゃうでしょ。

神事相撲から現代までの栄枯盛衰、土俵や番付の起源や変遷、雷電・梅ヶ谷・陣幕ほか名力士たちの事績等、日本の「国技」の全てを明らかにする。江戸時代の番付になぜ「横綱」の記載がないのか。土俵はいつから円形になったのか。横綱土俵入りになぜ雲龍型と不知火型があるのか。行司家元の吉田家等が「創作」した故実や巷間流布した言説も鵜呑みにせず、史実や史跡を丁寧に再検証。著者50年に亘る相撲史研究の粋を集めた入門書。

入門にしても結構マニアックですよ。
「これくらい常識」と言われれば返す言葉はないけれど。

位置: 240
日本の相撲が外国のスポーツと根源において大きく相違する点は、庶民(農民、漁民) の神事として発展して、今日なおその名残りをとどめていることにある。

草の根出身てことか。
いや、でも、どうかね。外国のスポーツだってそもそもは草の根だと思うけどね。だって上から「こういうルールでスポーツをやれ」とは言わないでしょう。

位置: 418
藤原氏一門の栄華のさまを歴史物語にした『大鏡』につぎのような話が出ている。
宇多天皇が御年十九歳で、まだ皇太子にお立ちにならない殿上人であったころ( 仁和 元年・八八五)、当時一代の貴公子であり美男子の代名詞にもなった 在原業平 の中将と、御殿の座敷の中で相撲を取った。
えいや、えいやともみ合ううちに、業平の投げがみごとに決まって、殿上人は脇にあった 御倚子(儀式のとき天皇がお掛けになる椅子で、紫宸殿と清涼殿にあった) の上にしたたか体をぶつけられ、そのため椅子の高欄が折れてしまった。

なかなか手荒な天皇ですこと。そして業平。

位置: 1,330
江戸時代の横綱は強豪大関に与えられた称号ではなく、将軍家などの上覧相撲の機会に、特に選ばれた強豪力士に「横綱土俵入り」の免許を与えたもので、重点は土俵入りの儀式にあったわけである。従って当時は、「横綱谷風」という呼称はなく、番付も大関であった。ほぼ同時代の超強豪力士の雷電為右衛門、文化時代の強豪大関柏戸利助、玉垣額之助などが、吉田司家から横綱免許を受けなかった理由も、こうした正式な上覧相撲のチャンス(機会) に恵まれなかっただけのことである。

なるほど。だから雷電は横綱じゃなかった、って『阿武松』でも演りましたね。

位置: 1,378
歴代横綱の伝記を書こうとすれば、いやおうなく、幕府の 好事家 により勧進相撲の始祖と祭りあげられている明石志賀之助に触れなくてはならない。初代から三代までは横綱の確証がないから、谷風梶之助から正しく数えるべきであるという説は、歴代横綱が設定された明治中期のころ唱えられてすでに久しい。

マニアックだなぁ。

これからどんどんマニアックになっていきます。あたくしはここで中座。
もっと易しいものが読みたかったなぁ。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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