水木しげる著『ほんまにオレはアホやろか』感想 戦後ってすごい

この時代に生まれていたら、あたくしはどうなっていたのか。果たして生き残れていたろうか。

子供の頃から勉強嫌い。就職してもすぐにクビ。戦争で片腕を失い、九死に一生を得るも赤貧時代が待っていた。だけどクヨクヨする必要はない。それはそれなり、救いがあるものなのだ。激動の昭和史と重ねつつ、『テレビくん』で講談社児童まんが賞受賞までを綴ったおとぼけ自伝。読めば元気がわくこと必至!

元気が湧くとかそういうのは二の次のような気もしますがね。

「こいつあ、アホとちゃうか」

位置: 89
遅刻をしても、先生もおこらず、生徒もふりむきさえしない。ぼく以外の生徒が遅刻すれば、先生はおこり、生徒はケーベツのまなざしで見つめたものだが。もっとも、ぼくはそうされたってこたえなかった。それまでにはうんとなぐられていたので、 面 の皮もずいぶんあつくなっていたから。こうして、ぼくは治外法権的存在になっていたのだ。
だが、ぼくにしてみれば、これは、楽しく生活をするわが道を行く生き方なのだった。いや、これは生き方というよりも、タチだったのかもしれない。
大地の神々がぼくを守ってくれているというようなことを本能的に考えていたのだ。この地上に生まれてきたからには、その地上の神々がぼくを生かしてくれるにちがいない、大地の神々にそむくようなことをせずにいれば、あくせくする必要はない、他の人の目から見れば 不真面目 でも、ぼくの生き方こそ真面目なのだ、こう考えていた。

凄まじい自己肯定感。

位置: 124
しかし、ぼく自身は、わりかし平気だった。なにしろ、つきあっているものが、虫の世界とか、自然といったものだったから、ヒマができたとばかり、絵ばかりかいていて、とてもたのしかった。 「野の鳥をみよ……」じゃないが、海のかもめも、山の虫たちも、たのしそうにくらしていた。 彼らには、落第なんていう、そんな 小さい 言葉はないのだ。この大地の自然の神々の意志にしたがって生きれば、そんなに住みにくいもんじゃない。

おばけは死なない、試験もなんにもない、ってのは地で考えていたことなんですね。
やはり発想が飛び抜けている。

へんな美術学校

位置: 157
せっかく絵の勉強をすることになったのだから、ぼくは、あまった時間でマンガ全集をつくることを思いたち、一週間に一冊のわりでマンガの本をつくった。それでも時間があまるものだから、童話の絵本もつくってみた。それでもなお時間があまるので、あとは映画を見ていた。
学校の 帽子 には、〝美〟という美術学校まがいの 徽章 がついていたが、それがかえってニセ学生のようなうしろめたい気分にさせるくらいヒマな学校だった。
ぼくはますます「自習」に熱中した。
図書館へ行って人体 解剖学 の本の図を写し(これは、正確な人体デッサンに必要だと思ったから)、その行き帰りには、あちらこちらをスケッチするという 猛 勉強 ぶり。
絵本の方もどんどんこりだして、アンデルセンやグリムの童話を絵物語にしてみようと、何日も何日も部屋にとじこもった。父が心配して部屋をあけた時は、あまり長い間、人としゃべらなかったものだから、うまく 人語 を発せられない。父は、しゃべれなくなったのではないかとおどろいた。もっとも、半日もしたら、もとどおりしゃべれるようになった。

この集中力よなー。「絵だけは誰にも負けない」というものを、伸ばしてもらえた強さよなぁ。

落ちたのは一人

位置: 311
「やっぱり満蒙開拓義勇軍に行くといわんかったのがまずかったのかなあ」
ぼくがつぶやくと、父は、
「ばか、そんなことをいって本当に行かされることになったらどうするんだ」  といった。となると、ああ答えなくてよかったんだろうか。ウチのお父っつぁんも少々変人の気味があるので、何とも断定はできない。

このお父さんというのがいいんだ。のんのんばあで美化されていたイメージだけどね。

靴を履かずに新聞配達

位置: 393
初めの数日は、 先輩 といっしょにまわって、配達する家をおぼえる。ぼくについてくれた先輩は 朝鮮 人の青年で、あれこれ教えてくれながら、スルスルとたくみに新聞をすきまにすべりこませるのだ。こんなにがっちりした家はむりだろうと思っていても、やはりスルスルすべりこませる。
それがおもしろくて、三百 軒 の配達区域を三日でおぼえてしまった。これさえおぼえれば、あとは「麻酔」状態のまま歩くだけが仕事で、「麻酔」がさめた時には仕事が終わっているのだから楽なものだった。

あるなぁ。あたくしも短時間ではありますが、新聞配達していたんです。この「麻酔」のことはよく分かる。あれは辛い仕事だった。

ドロボウと流行歌手

位置: 524
あなたの 御 子息 は絵の方にすすまれた方がいい、鉱山などに入ってもやっていけないであろう、こんな文面なのだ。
父も、さすがにぼくの父だけあって、落第とか中退などは平気。むしろ、それをすすめるのだ。
「どうや、やめるか」
この一言で、初めて入試にとおった学校も、けっきょく卒業することなくやめることになったのだ。こうなると、毎日ブラブラしているのもたいくつなので、近くの古本屋で本を買う。

さすがの父さんだ。あたくしも父としてこう在りたいものだ。

僕は落第兵

位置: 789
しかし、これも幸いなことにきりぬけ、とうとうラバウルに上陸した。「たどりつく」という言葉を 地 で行くようなラバウル行きだったわけだ。
現に、その前の船団も、その前の前の船団も、とちゅうで全部 沈没 させられていた。そして、ぼくたちの後の船団も、その後の後の船団も全部沈没させられたのだ。

えげつない。どういう気持ちになるんだろうな。

腕の手術を受けた相模原病院

位置: 1,098
しかし、ぼくは 南方ボケ とでもいおうか、 万事 に 鷹揚 になっていて、世の中が明るく見えてしかたがない。そこへもってきて、やや変人の気味のある父が、 「しげるは前から 横着 者 で、両手をつかうところでも片手でやってきたから、今さら片手になってもこまらんじゃろう」
などとオカシなことをいう。

父……。流石にそれは、と思うけど、しげるさんには響かないのかな。

「三十八だ、嫁さんもらえ」

位置: 1,797
この一ツブのビタミン剤が効いたのか、どうにかペンがにぎれるようになった。やっとその日に完成し、あくる日、出版社にもって行こうとしたのだが、サイフの中は当然一文なし。 隣 の部屋に下宿していた講談屋の見習いをやっていた 一 鶴 さんに十円借りて、水道橋にある兎月書房まで行くことになったのである。この講談屋のタマゴは、後に 田辺 一鶴というポルノ講談で有名な 師匠 になった。

すごいところで繋がるなぁ。

Wikipediaなどにはポルノ講談のことは書いていない。

『鬼太郎夜話』『河童の三平』をかく

位置: 2,050
ちょうどそのころ、両親が上京して来た。
「お前のために、いい 嫁 を見つけてきたよ」
という。
「お父っつぁん、それどころじゃないんだ」
「お前は前にもそんなことをいうとったが、もうじき四十だぞ。四十にもなっちゃ、だれも嫁にこなくなる」
両親もこんどは 強引。とにかく近日中に帰郷して見合いをすると約束し、両親をおい返した。
大急ぎで一冊かきあげ、汽車賃をつくって帰郷して見合いをした。
顔の長い女が出てきて、 着飾っているところを見ると、これがどうやら見合いの相手らしい。どうしようかとも思ったが、両親のいうには、このチャンスをのがしたら、一生嫁はもらえないという 強迫 におびえて、 結婚 することにした。

すごい表現。顔の長い女が出てきてってところで思わず笑った。
結婚とはこんなもんであるか。

借金やら、倒産で……

位置: 2,103
ぼくのマンガの重要なキャラクターに「ねずみ男」という愛すべき悪役がある。
神戸で 紙芝居 をかいているころに、 香 山 滋 という 怪奇 作家(『ゴジラ』などの原作者) の小説の中に、ねずみばかり住んでいる島にいるうちに、ねずみのようになる人間の話があるのを知り、ヒントを得た。

ねずみ男誕生秘話。

気ままな土人たち

位置: 2,313
人間というものは、地球上どこへ行っても、アクセクしているものと思ったが、ここは 違う。 彼らは競争という、くだらぬ原理にしばられない生活者なのだ。自由で、おおらかな気持ちが 皮膚 からつたわってくるのだ。三十年前の天国はやはり天国だったのだ。なんともいえない開放感が、彼らとあるいていると感じられる。足下には、虫がなき、空には鳥がとんでいた。

あたくし、まだその南方のアクセクしなさに馴染めないと思います。
いつかそのうち、心からそのアクセクしなさに馴染める日が来るのだろうか。

位置: 2,341
さんざん木の実を食べさせられて困っていると、トブエがきた。ぼくが三十年前にいたとき、独身の青年であった男だ。彼はいまだに青年で、花嫁を求めているときいておどろいた。
「おまえはいくつになったんだ」
ときいても、
「さあ」
といったきり、いっこうに気にしない。
そうだ、考えてみりゃあ、年なんかどうでもいいんだ。生きものには、生きるか死んでるかの二種類しかないんだ。トンボとか、 猫 とか植物もそうだ。人間だけが時計なんかつくって、自分で自分の首をしめているんだ。

それに比べると、自分はアクセクしているなぁ。
時計なんかつくって縛ってる。

人にも時計を見るように縛るしね。

位置: 2,372
考えてみれば、この大地の中に、木の 霊、草の霊、山の霊と、この踊りとさえあれば、なにもいらない感じだ。最近は独立国となって、 西欧 なみにパンツや洋服を着ることになるらしいが、なんでパンツなんか、はく必要があるだろう。
現在のラプラプというコシマキでいいのだ。ラプラプは下から風が入ってすずしいうえに、 糞、小便をするのが考えられないぐらい便利なのだ。国民にパンツをはかしたって、インキン、タムシになるくらいのものだ。そのように、文明はしばしば無用のものをはびこらせ、生きがいをなくすのだ。

確かに、彼らにパンツは必要だろうか。
文明の象徴としてのパンツ。

位置: 2,391
なるほど、物はないのに、イロイロと面白いこともあるもんだなァと思った。なにしろ、われわれ日本人と考え方が、ぜんぜんちがうせいだろう。こんなにのびのびしていいのだろうか、と思われるほどのびのびしているのだ。
そう思えば、戦争中、日本の兵隊が、たくさん働くといって、彼らは考えられないことだといって、笑っていた。日本人の方は土人がナマケモノだといって笑っていたわけだが。
日本人の方は、競争して働いていると、なにかドエライものにありつけるような気持ちがして、なんとなく馬車馬みたいに働いていたわけだが(その実はなんにもなかった)。

うーん、このノビノビを手放しで礼賛できるほど、まだ人間が出来ていないんですな、自分は。

位置: 2,398
月の夜は、みんな 寝そべって話をしている。だから、家族間とか、部族間のコミュニケーションもうまくゆくらしく、あまりケンカはない。のびやかにくらしている。
子どもでも、こんなに笑っていいのかなァ、と心配になるぐらい、のびやかに笑う。なるほど、この笑いこそ、人類が長年もとめた、幸福ってやつじゃないのかなァと、思われるくらいだ。鳥とか虫とかの声とまざって、自然に調和しているのだ。たしかに、われわれは、物質にはめぐまれているかもしれないけれども、なにかを落としてしまったのだ。

そういうことを声高にいう人を、あたくしは信用しないけどね。

先生だってそんなこといいながら、最後まで調布で漫画書いていたらしいしね。

位置: 2,413
彼らは、となりが倉をたてたのだから、ウチも建てようなんてソンナ考えはない。競争心というやつが、脳の中でけされているのだ。

良し悪しだよね。それじゃ帝国主義には敵わないだろう。

位置: 2,426
もっとも、点数レースの得意な人間には、 面白いかもしれないが、そんなことに、あまり得意ではない人間にとっては、それこそ、
「ほんまにオレはアホやろか」
ということになる。気の弱い人間は、いい点数をとれないとなると、すぐ、
「オレもうだめだ」
という気になってしまいがちだ。だが、そんなことはない。この大地はもっと自由だ。いろいろな形で生きていける。

とかなんとか言いながら、先生は家族を説得できず、やっぱり調布で暮らすんだ。
そんなもんだよね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする