釜谷武志著『陶淵明 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』

お気に入り、角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックスシリーズ。

俗世間から離れ、隠遁生活を送る陶淵明は、自らの田園体験を通してさまざまな感慨を詠む。その親しみやすい詩は、人々の共感をよぶとともに、日本人の生き方にも大きな影響を与えてきた。「帰去来辞」や「桃花源記」を含め、代表的な詩の世界を楽しみ、詩人の心にふれる。

ダイジェスト過ぎない具合で説明してくれて、いきなり原本あたるより遥かに良い。

なにより、陶淵明が好きだ。
憧れますね。こういう暮らし。やったらやったで、大変なんでしょうけど、一つの理想ではある。

解説 陶淵明の文学と生涯

位置: 158
書いた作品がその当時あまり高い評価を受けなかったわけは、一言でいえば、時代の先端を行きすぎていたからです。内容においても、表現においてもです。
内容に即して考えますと、淵明はあまりにも身近な題材を作品に、とりわけ詩にとりいれたのです。自分の子どものことを詠じたり、自分の家が火事にあったことをうたったり、また、農耕生活のことを何度も述べています。こうした題材は、わたしたちから見ると、べつだん不思議ではありません。日常的な個別の話題をとりあげながら、そこから導きだされる普遍性を感じさせるのは、文学作品にとってごく普通のことです。

日常系アニメ、みたいな立ち位置か。普通のことを普通にやるのが面白い、的な。

位置: 168
また表現の面から考えますと、淵明の時代は対句表現を多く用い、鮮やかな美しい語が頻用されていました。それに対して、淵明の作品は、平易な日常的な語を使い、俗語といっていいような口語的な表現もいとわずに使用しました。

言文一致とは違うだろうけど、またこれも一つの文学的な革命だったのかもしれませんね。

四言詩 子に命ず

位置: 590
日 や 月 や
漸く 孩 より 免れん
福 は 虚しくは 至らず
禍 も 亦 来 たり 易し
夙に 興 き 夜 に 寐 ね
爾 が 斯 の 才 を 願う
爾 の 不才 なる
亦 已 んぬるかな

月日はすぎゆき、
おまえもだんだん成長してゆくであろう。
幸福はわけもなくやってくるものではないが、
不幸はとかく訪れやすいものである。
朝早くから夜遅くまでつとめはげめ。
おまえがはげんで才ある人間になるのを願う。
それでもなおおまえに才がないのならば、
それもまた仕方がない。

まぁ、親のスタンスですよね。わかるわぁ。発破はかける。
でも無理はさせない。そしてずっと、目を細める。親にできることであるよ。

五言詩(一)

位置: 1,228
郭主簿に和す 二首(うち一首)
其の 一
藹藹 たり 堂前 の 林
中夏   清陰 を 貯 う
凱風   時に 因って 来 たり
回ひょう   我が 襟 を 開く
交わりを 息めて 間 業 に 遊び
臥 起 に 書 琴 を 弄ぶ
園 蔬   余 滋 有り
旧 穀   猶 お 今 に 儲 う
己 を 営むは 良 に 極み 有り
足るに 過 ぐるは 欽 う 所 に 非 ず
秫 を 舂いて 美酒 を 作り
酒 熟 すれば 吾 自ら 斟 む
弱子   我が 側 らに 戯れ
語 を 学 ねて 未だ 音 を 成さず
此 の 事   真に 復 た 楽し
聊か 用 て 華 簪 を 忘 る
遥遥 として 白雲 を 望み
古 を 懐 うこと 一 に 何ぞ

郭 主簿 にこたえる
その一
座敷の前の林はこんもりと茂り、
真夏に清らかな木陰を作っている。
南風が季節にしたがって吹ききたり、
吹きめぐる風がわたしの 襟元 を開く。
世間とのつきあいをやめて余業を楽しみ、
いつも書物と琴を手にする。
畑の野菜はおいしさたっぷりであるし、
去年とれた穀物が今でもまだ残っている。
自分自身の生活にはおのずから限度があり、
事足りる以上は望まない。
もちあわを 臼 でついてうまい酒を造り、
酒ができあがれば自分で酌んで飲む。
幼子 がわたしのそばでたわむれ、
大人のことばをまねようとするがまだちゃんと発音できない。
このようなことこそ本当に楽しい、
それで何とか栄達などは忘れられる。
はるかに白雲をながめやり、
いにしえの世を心から慕い思う。

まったくそのとおり。感動しますね。

真理ってやつを陶淵明は知っている、という気持ちになる。まったく同意です。足るを知り、現状を愉しむ。これに尽きます。

五言詩(二)

 位置: 1,844
庚 戌 の 歳 九月 中

西田 に 於 て 早稲 を 穫 す
人生   有道 に 帰 するも
衣食   固 より 其の 端 なり
孰 か 是 れ 都 て 営まずして
而 も 以 て 自ら 安んずるを 求めんや
開 春   常業 を 理 め
歳 功   聊か 観るべし
晨 に 出 でて 微 勤 を 肆 くし
日 入りて 耒 を 負いて 還る
山中   霜露 饒 く
風気 も 亦 先 に 寒し
田家   豈 苦しからざらんや
此 の 難 を 辞するを 獲 ず
四体   誠に 乃ち 疲 るるも
庶 わくは 異 患 の 干すこと 無 けん
盥 濯 して 簷下 に 息 い
斗酒 もて 襟 顔 を 散ず
遥遥 たり 沮溺 の 心
千載   乃ち 相 関わる
但 だ 願う  常に 此 くの 如くならんことを
躬耕 は 嘆く 所 に 非ず

庚 戌 の年の九月に西の田で 早稲 を取り入れて
人生の終局の目的は道に帰着することであるが、
衣食こそがまことにその始めなのである。
いったいだれが全く働きもしないで、
身を安らかにすることなど求められようか。
春の初めから農作業をちゃんとしておいたので、
秋の実りもまずまずのできである。
朝早く出かけていささか仕事にはげみ、
日が沈むとすきを背負って帰って来る。
山の中なので霜や露が多く、
風や空気も(平地より)先に寒くなる。
農家はどうして苦しくないことがあろう、
(しかし)この悩みは避けられないのだ。
体は本当にことのほか疲れるが、
ほかの心配事が襲ってこないのを願う。
手足を洗って軒下で休み、
いくばくかの酒で心と顔をくつろがせる。
はるか昔の 長 沮 や 桀溺 の心と、
千年もの後の今に通いあう。
いつまでもこのようであってほしいとばかり願う、
自分で耕すことはいとうことではないのだ。

うーん、いいですね。漢詩マジックというか、やはり味わいがある。
諦観とも違う、世俗とももちろん違う、ちょうどいい感じがありますね。

位置: 1,909
有道は、道を守り徳をそなえていることであり、これが人生の究極の目的といえましょう。しかし、衣食という最も基本的な次元の問題も不可欠であることを説いています。みずからの身体を動かさないで、ただ道を主張するだけの士は、淵明の批判の対象となります。孔子の教えを尊びながらも、 長 沮・桀溺 の生き方に強い共感を示すのは、おそらくこの理由からでしょう。

行き過ぎた言行一致もあれですが、しかし全く主張するだけというのもあれ。
そのへんのバランス感覚が、陶淵明は好ましいのかもしれません。とはいえ食っていかなきゃならん、ってやつです。

五言詩(三)

位置: 2,055
にぎやかな所に住んでいながら、ひっそりとしていられる理由を、淵明は心の持ち方次第だと説明しています。心がのどかであれば住む所もおのずと 辺鄙 になるという、世俗を超越した境地は、 小 隠 に対する 大隠 を連想させます。すぐれた隠者は山林に住まずに、人の多く集まる所に隠れているという、あの大隠です。

別にどこに住んでもいい、ってことだ。心の持ち方次第。まさにこの世は万事そうよ。

五言詩(四)

位置: 2,317
子 を 責 む

白髪   両 鬢 に 被り
肌膚   復 た 実 ならず
五 男児 有りと 雖 も
総べて 紙筆 を 好まず
阿 舒 は 已に 二八 なるに
懶惰 なること 故 より 匹 無し
阿 宣 は 行 ゆく 志学 なるに
而 も 文 術 を 愛せず
雍 と 端 とは 年 十 三 なるに
六 と 七 とを 識 らず
通子 は 九 齢 に 垂んとするに
但 だ 梨 と 栗 とを 覓 むるのみ
天運   苟 くも 此 くの 如くんば
且 く 杯中 の 物 を 進めん

子を責める

わたしは白髪がもう左右の 鬢 にかぶさっていて、
肌に張りやつやがなくなってきた。
男の子が五人いるけれど、
すべてみな勉強が嫌いである。
長男の 舒 はもう十六歳なのに、
もとから無類のなまけ者である。
次男の 宣 はもうじき学に志す十五歳だというのに、
文章と学術が好きではない。
三男・四男の 雍 と 端 とは十三歳だが、
六と七のちがいもわからない。
末っ子の 通 は九歳になろうというのに、
梨や栗を欲しがるばかりである。
もしかりにこれが運命だとすれば、
ひとまず酒でも飲むことにしよう。

結論がいい。とりあえず酒だ、ってね。

これ、憂いているようで、息子を可愛く思っているのも伝わってくるよね。
「しょうがないなぁ」と思いながらグラスを傾ける、父親の楽しみよね。

挽歌の詩

位置: 2,948
挽歌とは、ひつぎを載せた車を 挽くときにうたう、死者の 野辺 送りの歌です。

しらなかった。香港映画に「男たちの挽歌」ってのがありましたが、そういう意味だったんですね。しかしかっこいい邦題。

それにしても、陶淵明はいい。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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