米粒写経の『落談』を聞いて 日本文化は省略と余白の文化か

スカパーを契約したのは『寄席チャンネル』のため

先日スカパーに入りました。
Jリーグの『デイマッチハイライト』や、フジテレビの『プロ野球ニュース』を観るためでもあるのですが、個人的には月額500円の『寄席チャンネル』に入会したかったから、というのも大きいです。

そこには、お気に入りの芸人コンビ『米粒写経』の落談、落語の話も放送していました。
早稲田の落語研究会出身のお二人の落語の話、興味ありすぎて鼻血が出ます。

あたくしもひっそりと落語をやっている身ですから、落語について考えたりもするのですが、どうにもいい考えに至りません。
話はそれますが、『昭和元禄落語心中』の中で、「落語とは共感の芸だ」という趣旨のことを言われますが、これも至言だと思います。

タツオさんと居島さんの落語観、聞いてみました。

落語とは、日本文化とは「省略」と「余白」だ

タツオさんは話の中でこんな趣旨のことを言います。

「昔は芝浜が20分台で終わっている。これはみんなが芝浜を知っていて、その同時代性のなかで、如何に贅肉をそぎ落としていくのかで勝負できた。今で言うと「土下座」といえば『半沢直樹』とみんな知っている。そういう具合に、「省略すること」が芸たり得たのが昭和の落語であり、頂点が桂文楽だ。」

この言葉、染みましたね。
なるほど、そうかと。3代目三木助師匠の音源なんか、どれも本当に短いです。

それは、客の素養が高かったからこそ、なり得た結果なんですな。
ハイコンテクストなものが重宝がられたわけです。

日本語そのものが、ものすごくハイコンテクスで、使う人の同時代性を凄く必要とするじゃないですか。
「ヤバイ」とか「糞」とかが、良い意味にも悪い意味にも使われたり、分かりづらいことこの上ないですよね。

あれは観客が、落語を聞く人が、みんな落語の素養が高かったからなんですね。

思えばラノベも、ハイコンテクストなものだらけ。
かつての名作のパロディを散りばめたり、神話・伝説を引っ張り出してきたり。

日本人は本当にハイコンテクストなものが好き。

文楽が再評価される日は来ないでしょうね

いくら『タイガー&ドラゴン』が流行しようと、文楽が再評価される日はそう来ないように思えます。
みんなが文楽について語れる日は、来ないでしょう。

お笑いや芝居とくらべて、落語のファンになることは、とても難解なことだと、ファンのあたくしも思います。
あたくしが個人的に高座に上がるときも、難解なハイコンテクストな話はしません。

死ぬなら今、だとか、饅頭こわい、だとか。
ああいう分かりやすい滑稽な噺しかかけられない。
ま、これは技量の問題が一番大きいんですけどネ。

そんなことを感じました。

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