『怪奇小説という名の怪奇小説』 終盤までの運びが凄すぎる。反面……

日本ミステリー界の巨匠、都筑道夫氏の作品です。

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今NHKでドラマ化している『まんまこと』の畠中恵氏のお師匠さんだそうで。
「トリックよりロジック」というミステリの本質に迫った格言を残されたそうですよ。

いいリリックですねぇ。論理さえ整えば、トリックなど無くても推理小説は成り立つ、ということ。ふむ。至言ですな。

前半の求心力は比類なき

主人公は商業ミステリー作家。「私は……」という一人称で終始語られるので、読者に都筑道夫のエッセイのような印象を与えます。
蛇の文章を紹介したりして、怪奇小説らしさはない。
しっかり伏線は張ってるんですけどね。

アイデアに詰まった主人公は新しいミステリがどうしても書けない。
そこで、マーク・ルーキンズという名もないアメリカ作家の作品を盗作することにします。マイナーな小説であれば、時代や設定を移すだけで随分と違う印象を与えることを、作家自身が知っているのです。

それと平行して、私生活も進んでいきます。
盗作する本を読みながら、電車に乗ったり私用を片付けたり。その本を読んだ感想をいったり本のあらすじを引用しながら、目の前の現実にあったことを時系列的にシームレスに語るのです。すこし変な感じがしてきます。

そのうち、そのシームレスさがどんどんと変な方向に向かいます。現実・盗作元・盗作したミステリ。この3つの境界線が、次第に無くなって、読者にいま文字として読んでいることは”現実”なのか”盗作元”なのか、はたまた”それを盗作して作ったオリジナルな文章なのか”を判断出来なくしていくのです。

読んでいて嫌な予感を少しづつ与えつつ、けれど逃げることの出来ない力で文章に引きこむのです。

メタなのかメタじゃないのか

申し上げたとおり、メタな面のある作品ではあるのですが、そのメタがメタじゃないのかメタなのか分からなくなっていくところに面白さがあります。

ほかのことは、頭のなかから消えていた。あるのはただ、おれはなにを読んでいたのだ? という問いかけのことばだけだった
at location 1736

これは盗作元の作品について、ヒロインと気味の悪い違和感を語るある場面での記述なのですが、これは読者との違和感のことも語っていますよね。

あれ?じゃあ、盗作元って、ホントは何の話なの?っていう。

少しつづ、しかし、確実に、気味悪い方向に向かっている話の途中にこういう記述が入るもんだから、もう読むのを止められないったら。

終わり方も凄い違和感

そして、話の中の違和感が頂点に達した時、敢然と目の前に真相が立ちはだかり、圧倒されているうちに話が終わるのです。

正直「は?」という感じでしょう。

もはやロジック的にも破綻しているような気がします。

けれど、これは怪奇小説なのです。推理小説ではない。
だから、これでいいのか?いい……のか?いいのか?
正直、良いとは思えないのですが、良しとするしかない、という感じです。

ちなみに、いろんな方がこの本の感想を書いていますが、どの方のも終わり方の解釈について納得できるものはありません。
あの底知れぬ求心力と真相のアンチトリックな感じ。
これが都筑道夫氏の言いたかった”怪奇”なのかもしれませんね。

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