『車谷長吉の人生相談』 破滅しているのは結果であって中身ではない

保身しない人の面白さ

車谷長吉(くるまたにちょうきつ)という人を、失礼ながら存じませんでした。
けれど、とある先輩から勧められて読んでみたのです。
とりあえず勧められたものは読んでみる。そういう精神は大切ですな。

そもそもあたくしの私小説好きをご存知の方だったので、結構期待していたのですが、大当たり。
偉そうな一般論や不変の倫理の話は、今や流行らないのかもしれませんね。
それよか、こういう私的な正義について考えた、リンチのような私小説のほうが面白がられる時代かもしれません。

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とにかく普遍的に語らない

この方のすごいところは、一般論で語らないことです。
「自分は」こう思う。だからこうする。

そういう論理で文章をつらつらとされているのです。

もっとおおらかな気持ちに切り替える方法は、というお尋ねですが、私の考えでは、自分よりも金銭的、精神的、身体的にもっと困っている人を助ける仕事・活動をすることです。

引用ですが、これを実践しているからこそ言えること。
ご自分だっ遺伝的蓄膿症でお悩みなのに。

高校生になると男女交際ということが始まり、それを横から見ていて、生活力もないのに滑稽なことだと思うていました。腹の中では「阿呆めッ」と考えていました。

かといって全く善人というわけでもない。
あくまでも私的な。私的な。

実は私も田舎の高等学校入学試験に落ちて、進学校ではない学校に入学することになり、茫然自失したことがあります。仕方がないので、毎日、自宅、学校でぼんやりしていました。たまに蝶採集に行ったりすることがありましたが、これは簡単に言えば、生き物を殺すことなので、一年ぐらいでやめました。

仏教的な思想が随所に見られます。
だからこそ親しみやすいんでしょうかね。あたくしも根底には仏教が流れているんだなぁと、年とともに思いますね。

あんたにゃ何も言い返せない

私は遺伝性蓄膿症なので、物心ついた時から鼻で呼吸が出来ません。口で息をして生きてきました。苦しいことです。  田舎の高校二年生の夏、六十日余り、病院へ入院して二度、五時間余の大手術を受けました。けれども額の後ろの骨に溜まっている膿を取り除くには、三度目の手術が必要であり、その手術をするのには目の神経を切断する必要があると言われ、盲になってもよい、という同意書に署名・捺印を求められました。私は署名・捺印をすることが出来なかった男です。

こんなこと言われてご覧なさい。
もう何も言えませんよ。自分は五体満足であります。どうして泣き言が言えましょうか。

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