一流のSF兼猫小説、と聞いて。
看板に偽りはありませんでした。
ぼくの飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にあるいくつものドアのどれかひとつが、夏に通じていると固く信じているのだ。1970年12月3日、かくいうぼくも、夏への扉を探していた。最愛の恋人に裏切られ、生命から2番目に大切な発明までだましとられたぼくの心は、12月の空同様に凍てついていたのだ! そんな時、〈冷凍睡眠保険〉のネオンサインにひきよせられて……永遠の名作。
かなりご都合主義的で、好み。
ハッピーエンドですしね。ハラハラもするし。映画でいうとバック・トゥー・ザ・フューチャー的な面白さ、でしょう。もちろん、BTFが色々と影響されたんでしょうが。
なんたって発表されたのが1956年。うちの親と同じくらい。
それでいてこの新しさたるや。
1956年からみた「1970年感」や「2000年感」も楽しみの一つ。
また言い回しがいいよね。古臭くって。
位置: 201
だから、ダニイ・ボーイ、やっぱりそんなことは忘れてしまったほうがいい。おまえさんの人生が酢漬けのキュウリよろしく酸っぱくなったのには同情するが、だからといって、その 我 儘 無類の猫の面倒をみる義務がなくなったということにはならないよ。
たまんねーすな。この言い回し。
位置: 589
種を明かせばこの怪物の正体は、真空掃除器の改良型で、ぼくらはこれを、ふつうの吸引式の真空掃除器とあまりちがわない値段で市販しようと計画していたのである。 文化女中器 は(もちろん、これはのちにぼくが改良を加え完成したセミ・ロボット型でなく、市販第一号時代のである)どんな床でも、二十四時間、人間の手をわずらわせずに掃除する能力を持っていた。そしておよそ世の中には、掃除しなくてよい床など、あるはずがないのだ。 文化女中器 は、一種の記憶装置の働きで、時に応じてあるいは掃き、あるいは拭き、あるいは真空掃除器とおなじように 塵埃 を吸収し、場合によっては磨くこともする。
これ、今で言うところのルンバでありますな。ルンバの登場を予見し、ある程度の構造を予想して文字化していたところにハインラインの面白いところがあります。
位置: 3,402
チャックはぼくの問に答えずに、ウェイターを呼んで、電話帳を持ってこいと命じた。ぼくはいきりたった。 「なにをする気なんだ、チャック。ぼくを精神病院へ送ろうってのか?」 「うんにゃ、まだだね」彼はウェイターの持ってきた分厚な電話帳をしばらく繰っていたが、やがて指を止めるといった。
見逃しがちだけど、こういうのが面白い。
未来にまだ、電話帳があると思っているところ。今でもあるにはあるんだろうけど、もはやそういう時代じゃない。
ハインラインも電話帳が当たり前にある時代じゃなくなるとは、気づかなかったんだろうね。家事労働なんかは機械がやるようになる予想は出来ても。
位置: 4,329
それから、一度などは、風邪を引きこんでしまった。忘れ去って久しいこの過去の亡霊にとりつかれたのは、ぼくが、服というものは雨にあえば濡れるものだという事実を完全に失念していたことが原因だった。そのほか、料理がすぐ冷めてしまう皿、洗濯に出さなければならないシャツ、使おうとするときには必ず蒸気で曇ってしまっている浴室の鏡、舗装されていないため、靴──だけでなく肺の中まで埃だらけになる泥道、数え立てればかぎりない。とにかく、清潔で完全な二十一世紀の生活に馴れたぼくには、一九七〇年の世界は果てしない不便と面倒との連続だった。
翻訳文体の何が気持ちいいって、長文で列挙の箇所のリズミカルなところ。張り扇の音でも聞こえてきそうな気持ちよさ。いいよね。
小説が、主人公が最低最悪の状況から始まるのも面白い。読んでいくうちにどんどんダニィに同情してくる。半分くらいまで読んだら完全に贔屓。判官びいき。
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