『あの戦争と日本人』 歳かな。太平洋戦争に興味があるのよね。

若い頃はまったく興味がなかった先の大戦。ところが、最近はやたらと興味があって。

歴史とは、前の事実を踏まえて後の事実が生まれてくる一筋の流れである――明治維新、日露戦争、統帥権、戦艦大和、特攻隊。悲劇への道程に見える一つ一つの事実は、いつ芽吹き、誰の思いで動き出したのか。ベストセラー『昭和史』『幕末史』と並ぶ、わかりやすく語り下ろした戦争史決定版! 日本人の心に今もひそむ「熱狂」への深い危惧が胸に迫る。

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維新あたりから大戦までの経緯がスッキリと書いてあります。
天皇の政治責任についての考え方を除けば、かなり頷けるところが多くて楽しめました。

そして、あっさりと言ってしまえば、彼らは国家の機軸に天皇を立てることを考え付いたんですね。伊藤博文が外遊して、各国の憲法を全部調べて、国家には国民統合の中心となる機軸というものが必要なんだと、そこで、戊辰戦争のとき「玉」としてかついだ万世一系の天皇の権威というものをあらためて思い浮かべまして、天皇家を中心とする国家をつくったほうがやりやすいというので、明治二十二年に憲法を定めた、ということなんです。
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要するに天皇という機軸ができる前に、薩長の中軸が統帥権を手に入れていて、それがいつのまにか、国家の中心、機軸の天皇と結びついたんですね。明治二十二年二月十一日に発布された大日本帝国憲法には、軍事に関してはたった二つの条項しかないんです。  第十一条 天皇は陸海軍を統帥す  第十二条 天皇は陸海軍の編制及び常備兵額を定む  これだけです。つまり軍事は天皇直率であることを、この二項で明文化した。
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大日本帝国憲法についての勉強は、それこそ受験以来していません。
久々に歴史に触れると面白いね。

夏目漱石はちょうどその頃、ロンドンに国費留学してましたが、日記にはぶーぶー文句が書いてある(笑)。安い留学費で、ろくなもんも食わないで勉強してるのに、その上に建艦費までとられる。留学中の漱石は五高教授は休職扱いとなっていて、その間、留守宅の鏡子夫人に文部省から支給されるのは月額二十五円。うち二円五十銭が建艦費として差し引かれていました。相当な高額です。何も漱石だけではなく、軍艦を造るために官僚は給料の一部を有無をいう暇もなく天引きされていたんですよ。
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なかでも乃木のつくった狂歌や俗謡が楽しくていい。堅物とはほど遠い、すこぶる風流味のある人のようです。
・なす事もなくて那須野にすむ我は茄子唐なすを喰ふて屁をこく
・大根喰ふて大黒さんに首尾わろし見すててたもな大虚空蔵
旅順攻略戦のときに詠んだ歌もあります。
・急ぐなよ旅順の敵はよも逃げじよく喰ふてねて起きてうつべし
・饅頭を喰ふにつけても思ふかなまんぢう山のとれぬ悲しさ
いかがなものですか。乃木もまた佳き明治人の感があるのではありますまいか。
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宮沢賢治が二十五歳で国柱会に入ったとき、友人の保阪嘉内にあてた手紙が残っています。 「今度私は、国柱会信行部に入会致しました。即ち最早私の身命は、日蓮聖人の御物です。従って今や私は、田中智学先生の御命令の中に丈あるのです。謹んで此事を御知らせ致します」
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このあたりの文学や狂歌を用いての説明は特に素晴らしく思いました。人間を多面的に描くのに最適な方法を最適な分量で配置されている。さすが先生。
もともと漱石が好きなだけにね。すっと入ってきます。

明治天皇はたいへんな酒好きだったことで知られています。日本酒、葡萄酒、シャンパン、ベルモットなどを喜んでたしなんだ。平素はもっぱら葡萄酒を好んだといいます。ある銘柄をとくに好んだというような気難しさはなかったそうで、侍従の日野西資博が語った『明治天皇の御日常』(新学社教友館)によれば、 「ともかくも御酒は御好きでございましたから、注いでさし上げれば、それこそ何杯でも召上るのでございますが、玉体を考へ、またあまり召上ると後で恐ろしいこともございますから、御控へするやうなことになります。『シャンペン』が最も御好きでございまして、ある時などは、二本も召上つたことも私存じてをります」
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明治天皇はザルだった、ってね。シャンパンがお気に入り。へぇ。面白いなぁ。
内田百閒先生みたいね。

大西さんは特攻についてどう考えていたのか。零戦研究の第一人者神立尚紀さんが書かれた戦記『祖父たちの零戦』(講談社)に、まことに興味津々たることが記されています。元零戦搭乗員角田和男少尉が、第一航空艦隊参謀長小田原俊彦大佐から、「他言無用」という条件つきで聞いた大西瀧治郎中将の話。角田元少尉への取材のときに神立さんは打ち明けられたという。これが大西さんがしみじみと語った特攻の真意ということになる。肝腎の個所だけを。 「これ(特攻)は九分九厘成功の見込みはない。これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。だが、ここに信じていいことが二つある。天皇陛下はこのことを聞かれたならば、戦争はやめろ、と必ず仰せられるであろうこと。もうひとつは、その結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族がまさに滅びんとするときに、身をもってこれを防いだ若者たちがいたという事実と、これをお聞きになって陛下自らのお心で戦を止めさせられたという歴史が残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するだろう、ということである。  (中略)  大西は、後世史家のいかなる批判を浴びようとも、鬼となって前線に戦う。天皇陛下が御自らのご意志によって戦争を止めろと仰せられたとき、大西は上、陛下を欺き奉り、下、将兵を偽りつづけた罪を謝し、特攻隊員のあとを追うであろう」  初めて知る大西中将の真意です。真偽のほどはわからないが、戦争をやめるために特攻に踏みきったとは。わたくしにとって驚天動地の話であったことは隠さずに述べておきます。
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これなんか、読みながら震えましたよ。
なるほど、戦争とはこういうもので、軍人とはこういうことを考える人達だったのかと。あたくしには戦の筋なんぞ一本も通っていない軟弱者ですが、それでも、このきくと背筋が凍って考えてしまいます。

まとめ

半藤さんの本、初めて読みました。いままで大戦には全く興味も知識もなかったものですから。
でも、面白いですね。またこの周りの本を読みたいと、素直に思います。

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