ほんま恐ろしいで……『シャーデンフロイデ』ってやつは

人間の感情のなかでもっともエモく悪質じゃないですかね。

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やや繰り返しになりますが、制裁を加えればその相手からリベンジされる危険が生じます。相手は「もはや失うものはない」とばかりに、破れかぶれでとんでもない行動をとるかもしれません。
そこで、その危険を乗り越えて制裁を加えられるように、「正しい側(大勢の側)に回ってルール違反者を処罰すること」で、オキシトシンやドーパミンが脳に分泌され、快感が得られるようになったのです。
リベンジの危険を乗り越えられるほどですから、その快感は非常に大きいものです。あまりにも大きいから、その快感得たさに獲物を探し出すということまでしてしまいます。

私刑だと怖いから勝手に公の刑を名乗る、すると怖くないってやつですね。この「勝手に」というところがいつの間にか意識されなくなるんですな。恐ろしい。

位置: 786
「本当にルールを破ったかどうか」はどうでもよく、大勢の側に立って処罰する快感にどっぷりと浸かってしまうのです。

位置: 787
たとえ、「本当はルールは破られていない」と気づいていても、そんなことは指摘できません。指摘した瞬間にその人は、集団から抜けて生け贄側につくことになります。だから、思考停止して処罰の快感に溺れていく道をとります。
子どものいじめでも、ママ友の仲間外れでも、「本当は○○ちゃんは悪くない」とわかっていながら集団の側に回ってしまうのは、ある意味、人間の宿命というべき性質なのかもしれません。

古くは魔女狩り、ユダヤ人虐殺、最近だとネットリンチなんかがそれにあたりはしませんか。怖いね、人間つーのは。ほんと。歴史も体験も証明しているよ。

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自分で意思決定することを楽しいと感じる人は東アジアでは3割もいません。日本人の場合、わずか 27 パーセント。残りの 73 パーセントは、自分で意思決定するのが苦痛な人たちと言えます。  一方、ヨーロッパでは6割近くが自分で意思決定したいタイプです。どうしてこのような違いが生じるのか、はっきりしたことはまだわかっておらず、議論されているところです。

自分の頭で考えたくない人が多い民族なんですね。農耕民族はそのほうが強い、とも。今の時代にゃ合わないのかも。考えることは苦痛である、という側面は意識したほうが生きやすかろうね。

位置: 894
このことからも、人はいかに「自分で選ぶことが好きでないか」がわかります。
私たちは「できるだけたくさんの選択肢を与えられているほうが幸せだ」と思いがちですが、実は意思決定をあまり迫られない「少ない選択肢」のほうを、脳は快適に感じるのです。
心理学者のバリー・シュワルツは、「選択肢の多さが幸福度を下げる」と主張しているほどです。
私たちが思考停止したいときに望むのは、「考えたくないけれど、間違いたくもない」という虫のいいことです。これは、2017年に行われた衆議院議員選挙で聞かれた、投票に行かない若者たちの声でもありました。
間違った選択をしたくないから、投票しない。
そこで、結果的にどういう方向に流れるかといったら、「みんなの行っているほう」。「みんながあっちに歩いているから、それについていけば大丈夫だろう」となるのです。

その危険性についての指摘は数え切れぬほど。しかし、実を結んだことはほとんどないでしょう。やっぱり一定の人間にとって「考える」というのは苦痛なんですね。

偉そうな事を言っていますが、あたくしにもそういうところは当然あって、自覚的です。例えば経営とかマネタイズとか、そういうのはホント、苦痛。評価されねばならないというのは苦しいのです。ただ毎日をのんびり生きたいだけなの。それってダメなんでしょうかね。

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本当なのかどうか確認しようのない、占い師に言われたことをそのまま実行してしまったり、高額なセミナーなどにはまってしまったりするのも、「自分が進むべき方向を自分で決めたくない」という思いが根本にあります。
神の名のもとにある教義に判断を任せれば、自分は考えなくて済みますし、自分の行動の責任を負わねばならないという不安や恐怖を肩代わりしてもらえます。

そういう人たち(あたくし含む)に「自分の頭で考えろ」と言っても無駄ですよ。水をのむのは馬なわけですからね。

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その理由を探る上で参考になるのが、2014年に『サイエンス』に掲載された、米ミシガン大学の研究チームによる論文です。  そのチームは、中国の米作地域と麦作地域について、社会心理学的な視点から、比較調査を行いました。
すると、同じ中国人であっても、米作地域のほうが周囲の人々との関係性が濃密で集団の意思を尊重し、麦作地域のほうが合理的な決断を下す傾向にあるということがわかりました。米作は麦作よりも多くの工程を必要とし、集団でなければ収穫が得にくいためにそうした結果につながったのだと、研究チームは考察しています。  となれば、租税を米で支払い、財産も米の収穫高を基準に算出されてきた、明らかに長らく米作地域であった日本で、集団を尊重する志向性の高い人々が淘汰の結果生き残ったのも自然なことのように思われます。
ただ、そうした向社会性が強い場では、合理的判断よりも集団の意思決定が尊重されます。

自分の頭で合理的に考えるのを拒むかわりに、集団の意思決定を尊重する。そうやって生きてきた民族なんですね。ただ、逆風。今や集団の意思決定は大きく時代遅れ。なかなか米作人種には厳しい時代ですね。

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日本においては少数派だった、火山のために土が米作に適さなかったり、米作よりも海運が盛んであったりする地域、すなわち薩摩や長州の人々が、より合理的な意思決定を選択、採用したことで、大きな節目をつくっていったというのは示唆的です。

まったくそう。脳科学から考える明治維新。面白いね。

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