『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は後者だけでいい①

正直、後者だけでいい。『世界の終わり』の方は解釈に困る。

高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす〈僕〉の物語、〔世界の終り〕。老科学者により意識の核に或る思考回路を組み込まれた〈私〉が、その回路に隠された秘密を巡って活躍する〔ハードボイルド・ワンダーランド〕。静寂な幻想世界と波瀾万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織りなす、村上春樹の不思議の国。

あたくしに想像力が欠如していることは薄々知っていますし、それはもう仕方がない。ただ、よくわからないものをよくわからないと言いたいんです。

p16
私はどちらかといえば様々な世界の事象・ものごと・存在を便宜的に考える方では ないかと自分では考えている。それは私が便宜的な性格の人間だからというのではな く――もちろんいくぶんそういう傾向があることは認めるが――便宜的にものごとを 捉える方が正統的な解釈よりそのものごとの本質の理解により近づいているような場合が世間には数多く見うけられるからである。
たとえば地球が球状の物体ではなく巨大なコーヒー・テーブルであると考えたとこ ろで、日常生活のレベルでいったいどれほどの不都合があるだろう? もちろんこれ はかなり極端な例であって、何もかもをそんな風に自分勝手に作りかえてしまうわけ ではない。

なるほど、便宜的なものの考え方をする人っぽい。あまりプログラマーぽくはないけどね。でもこういう己の思考を定義づけるやり方は好感ですね。好きだぜ、こういう人。

p25
若くて美しくて太った女と一緒にいると私はいつも混乱してしまうことになる。どうしてだかは自分でもよくわからない。あるいはそれは私がごく自然に相手の食生活 の様子を想像してしまうからかもしれない。太った女を見ていると、私の頭の中には 彼女が皿の中に残ったつけあわせのクレソンをぽりぽりとかじったり、バター・クリ ーム・ソースの最後の一滴をいとおしそうにパンですくったりしている光景が自動的
に浮かんでくるのだ。そうしないわけにはいかないのだ。そしてそうなると、まるで 酸が金属を浸蝕するみたいに私の頭は彼女の食事風景でいっぱいになり、様々な他の 機能がうまく働かなくなるのだ。
ただの太った女なら、それはそれでいい。ただの太った女は空の雲のようなものだ。 彼女はそこに浮かんでいるだけで、私とは何のかかわりもない。しかし若くて美しく て太った女となると、話は変ってくる。私は彼女に対してある種の態度を決定するこ とを迫られる。要するに彼女と寝ることになるかもしれないということだ。

そういうことなのか?寝ることになるかもしれないのか?

離婚歴のある三十半ばのプログラマーが、若い女を見ると「寝る」ことを考えずにはいられなくなる?病気ですな。10代ならわかる。でも30代ですよ。ちょっと行き過ぎでしょう。

ユーモラスだけどね。結構病的。

p32
秋がやってくると、彼らの体は毛足の長い金色の体毛に覆われることになった。そ れは純粋な意味での金色だった。他のどのような種類の色もそこに介在することはで きなかった。彼らの金色は金色として世界に生じ、金色として世界に存在した。すべての空とすべての大地のはざまにあって、彼らはまじりけのない金色に染められていた。

このまどろっこしさ。金色を金色というのに数行使う感じ。全然便宜的じゃない。

p48
ステージのわきに下に降りるためのアルミニウムの梯子がついていた。私は懐中電 灯のストラップを胸にななめにかけ、つるつるとすべるアルミニウムの梯子を一段一 段たしかめるようにして下に降りた。下降するにしたがって水の流れる音が少しずつ 大きく明確になっていった。ビルの一室のクローゼットの奥が切りとおしの絶壁にな っていてその底に川が流 れているなんていう話は聞いたこともない。それも東京のどまん中の話なのだ。考えれば考えるほど頭が痛んだ。まず最初にあの不気味なエレベ
ター、次に声を出さずにしゃべる太った娘、それからこれだ。あるいは私はそのま ま仕事を断って家に帰ってしまうべきなのかもしれなかった。危険が多すぎるし、何から何までが常軌を逸している。しかし私はあきらめてそのまま暗闇の絶壁を下降し た。

東京のど真ん中にこんなワンダーランドがある。その発想がいい。森見登美彦的というか。順番が逆だけど。もしかしたら発想の好みは近しいのかもしれません。

p98
「そうです」と老人は言ってまた肯いた。「よろしいですかな、あなただけに教えてさしあげるが、この先必ずや世界は無音になる」
「無音?」と思わず私は訊きかえした。
「そう。まったくの無音になるです。何故なら人間の進化にとって音声は不要である ばかりか、有害だからです。だから早晩音声は消滅する」
「ふうん」と私は言った。「ということは鳥の声とか川の音とか音楽とか、そういう ものもまったくなくなってしまうわけですか?」
「もちろん」
「しかしそれは何かさびしいような気がしますね」
「進化というものはそういうものです。進化は常につらく、そしてさびしい。楽しい 進化というものはありえんです」

言っていることの半分くらい共感してしまうのが悲しい。よく考えると前提がおかしいんだけどね。でもこの手法好きだな。昔伊集院のラジオにあった「ないないあるあるコーナー」みたい。ないない前提のあるある。脳内が良い具合にとろける。

p94
しかし正しい太り方をすればそんなことは絶対 にありません。人生は充実し、性欲はたかまり、頭脳は明晰になるです。私も若い頃 はよく太っておったですよ。今じゃもう見るかげもありませんがな」
 ふおっほっほっほと老人は口をすぼめるようにして笑った。
「どうです、なかなかうまいサンドウィッチでしょう?」
「そうですね。とてもおいしい」と私は賞めた。本当においしいのだ。私はソファーに対するのと同じようにサンドウィッチに対してもかなり評価の辛い方だと思うが そのサンドウィッチは私の定めた基準線を軽くクリアしていた。パンは新鮮では あり、よく切れる清潔な包丁でカットされていた。とかく見過されがちなことだけれど、良いサンドウィッチを作るためには良い包丁を用意することが絶対に不可欠なの だ。どれだけ立派な材料を揃えても包丁が悪ければおいしいサンドウィッチはできない。マスタードは上物だったし、レタスはしっかりとしていたし、マヨネーズも手づ くりか手づくりに近いものだった。これほどよくできたサンドウィッチを食べたのは ひさしぶりだった。

もはや性欲よりも食欲が上回ります。なにそれ、よくできたサンドイッチ。食べたい。そして太ることへの考察ね。結構こういう発想も好み。

なにこれ、結構たのしいじゃん、というのが序盤の感想です。

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