『太陽と乙女』感想① 森見ファンのための本 #森見登美彦

あたくしもファンの一人ですが。

登美彦氏はかくもぐるぐるし続けてきた! 影響を受けた本・映画から、京都や奈良のお気に入りスポット、まさかの富士登山体験談、小説の創作裏話まで、大ボリュームの全90篇。台湾の雑誌で連載された「空転小説家」や、門外不出(!?)の秘蔵日記を公開した特別書下ろしも収録。寝る前のお供にも最適な、ファン必携の一冊。

「全然新刊の情報が出ないけど、遅筆なのかな……、でも新聞連載とかやってたもんな」なんて思っていたらスランプだったんですね。メディア化がバリバリ行われている一方で、ってんだから、世の中分からない。

位置: 206
かつて六年間暮らした下宿に挙動のおかしい古株学生がいた。彼は 丑三つ 時 に独り自室で 咆哮 し、我らの 肝 を冷却した。そんな彼もやがて郷里へ強制送還となり、下宿に平和が訪れたかに見えたが、ふいに私は気がついた。四畳半に寝転んで、無為に過ごした過去と見えない将来を敢えて見つめる時、今度は私が、ただガムシャラに咆哮したくなっていた。「詩人か、さもなくば何にもなりたくない」とヘルマン・ヘッセみたいなワガママを言い張れる時期があるにせよ、それに決別する頃合いを逸して迷い込んだ袋小路において、人はしばしば四畳半で独り咆哮する虎と化す。

こういう腐れ大学生モノが読みたい、というニーズのついて回るだろうし。大変ね。

位置: 375
内田百 には、おおざっぱに言うと二つの作風がある。一つは「サラサーテの盤」や「山高帽子」に代表される、得体の知れない不安の手触りを 執拗 に描く作風であり、もう一つは『 阿房 列車』に代表される、しかめっ面をしたまま遊んでいるようなユーモアのある作風である。いずれの作風にしても、魅力的なのはその文章だった。

あたくしの大好きな『御馳走帖』もこの部類かしら。あたくしが森見さんが好きなのは内田百閒とかそのあたりの文脈が好きだからなのかも。すると森見ファンになるのは必然か。

位置: 526
怖い話であるからこそ繊細なものであって欲しいし、自然に読み進めさせてくれる気遣いが欲しいし、その世界の匂いをありありと感じさせるような文章であって欲しいし、クライマックスでは「うひゃっ」と思わせて欲しい。というふうにアレコレおねだりしていると、なかなか自分の好みにぴったりとした怖い話はないものだ。ところが、「トイレの懺悔室」という小説は、ほとんど私の理想そのものの「怖い話」なのである。

怖いもの以上に、怪談とか怖い話が好きなんです。

位置: 695
撮されたその景色がなぜそんなに私を魅了したかというと、私が細かいルールや選手たちの間の駆け引きをいっこうに知らずに観ていたからだ。それこそが醍醐味という人もあるかもしれず、私もそこらへんの機微を知りたい気もするのだが、未だに分かろうという努力をしない。風や地形の問題、駆け引き、選手の調子……そういった要素がすべて捨てられてしまうと、目前にどこまでものびていく何もないアスファルトの道を、ただそれぞれに自分の足を使って前へ進むという原則だけが残る。

ツール・ド・フランス観戦の話。あれ、いいよね。風景として。ひたすらぼーっとみていられる。全然手に汗握らないから、スポーツ観戦としては間違っているんだろうけど。

位置: 829
一九七〇年の秋で、曾祖母は七十歳になっていた。皆が集まってくれたのだからと、曾祖母は息子が送ってくれた輸入物の高価なワインを押し入れから取りだしてきた。その時の曾祖母の残念そうな口調を、母は今でも覚えているという。 「でもこれなあ、甘ないんやで」  曾祖母にとって、ワインとは、すなわち赤玉だったのである。

やっぱり、甘い=美味いの価値観は世代にも個人にもあるわけです。

位置: 847
私がどれぐらいぼんやりしていたかというと、銭形警部のことをルパンのお父さんだと思っていたぐらいである。なぜならルパンが「とっつぁん」と呼ぶからだ。「こいつ、勘違いしてるな」と気づいた父が、「銭形警部はルパンのお父さんとちゃうぞ」と教えてくれたときの衝撃はよく憶えて

笑っちゃうよね。言われてみればそうだ。「とっつぁん」ってそうだよね。

作家としての森見さんを愛するのはもちろん、森見さんの見識を知るのに大変有意義な一冊。ファンなら必携ですな。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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