『太陽の塔』感想3 くされ大学生モノの原点

クライマックスのカタルシス。からの寂寥感。程よいんですよね。

p218
信号が青に変わり、彼はこちらに歩いてきた。飾磨は「ええじゃないか」と小さな声で言った。私の傍らに立っている井戸が「ええじゃないか」と小さな声で応えた。私も「ええ じゃないか」と和した。飾磨はとなりを歩いている男子学生に「ええじゃないか」と 言った。男子学生は無視して通り過ぎるかと思われたが、異様な熱気を帯びた飾磨に見つめられ、つい「ええじゃないか」と呟いた。飾磨がもう一度「ええじゃないか」 と言うと、その男はまた「ええじゃないか」と言って、にやにやと笑い始めた。「ええじゃないか」「ええじゃないか」と我々は言った。まだ声は小さかった。飾磨は道行く人々に、「ええじゃないか」と声をかけ始めた。 気味悪そうに見て行く人々もい たが、中には「ええじゃないか」と応える人もいる。角に立ってティッシュを配って
いる金髪の男が面白そうな顔をして、「ええじゃないか」と言った。彼がティッシュ を配りながらそう言い始めると、ティッシュを受け取った道行く女子高生たちがけら けら笑って「ええじゃないか」と言い始めた。彼女たちが騒ぎ始めると、何だ何だと 道行く人々がこちらに好奇の目をやり始める。「ええじゃないか」「ええじゃないか」 「ええじゃないか」ただでさえ浮き足立っている夕闇の空気の中へ、「ええじゃないか」という声はいともやすやすと染み込んで行った。背広を着たおじさんは何か恐ろしいものを見るような顔っきで、足早に通り過ぎようとしていたが、店先にたむろしていた女性たちが「ええじゃないか」とおじさんを見つめて言うと、「ええじゃないか」と応えてしまった。三人連れのおばさんが「ええじゃないか」「ええじゃないか」 と夕闇に叫んだ。妙に上機嫌な男たちの集団が、こりゃ面白そうだと雪崩込んで来て 「ええじゃないか」「ええじゃないか」「ええじゃないか」と口々に言い始めた。手に手を取った男女が面白そうに立ち止まり、「ええじゃないか」と言い出した。「ええじ ゃないか」「ええじゃないか」「ええじゃないか」「ええじゃないか」そうやって五分もすると、周囲に、「ええじゃないか」という声が湧き起こって、誰が言っているのかも分からなくなった。嘘みたいな本当の話である。

妙なリアリティがあるんですよ、このシーン。本当にあったらいいのにな。何度読んでも、カタルシスがあるんですよね、ここ。社会に翻弄されるしかなかった大学生が、はじめて自分からムーヴメントを作り出した瞬間。

p222
その後、なおも「ええじゃないか」「ええじゃないか」と蠢く人々の群れを見つめ ていると、ふいに水尾さんの姿が見えた。背の低い彼女は人混みの中で「ええじゃな いか」もみくちゃにされていた。すぐ近くに遠藤が「ええじゃないか」いて、なんと か彼女に追いつこうとしているが、人の流れに阻まれて「ええじゃないか」「ええじ ゃないか」困惑している様子が手に取るように分かった。私が「ええじゃないか」そ れを見つめていると、遠藤が「ええじゃないか」ふと顔を上げ、憎悪の籠もったよう な目で「ええじゃないか」私を睨んだ。私は「ええじゃないか」睨み返した。

 人混みの中を「ええじゃないか」くぐり抜けた水尾さんが、私の前を「ええじゃな いか」横切った。彼女はただ「ええじゃないか」毅然と前を向いて、この大騒ぎの中 から「ええじゃないか」なんとか「ええじゃないか」息をつける場所へ抜け出そうと、 がむしゃらな努力を続けていた。

 私は手すりの上から「水尾さん」と叫んだが、私の声は「ええじゃないか」掻き消 されて届くはずもなかった。彼女はどんどん人混みの中を「ええじゃないか」押し流 されて行った。まるで波間に揺れる「ええじゃないか」心細いブイのように、彼女の 短く切りそろえた髪が人混みの中で「ええじゃないか」見え隠れした。もう遠藤の姿も「ええじゃないか」見えなかった。彼がどうなったのか知ったことではないし、い っそのことこのままくちゅくちゅっと消えてしまうがよいと思った。

p223

「ええじ ゃないか」「ええじゃないか」「ええじゃないか」満腔の怒りと「ええじゃないか」苛 立ち「ええじゃないか」を込めて、私は叫んだ。どうでもええわけがない。どうでも ええわけがあるものか、と。

すべてを達観したような主人公の視点。ときに人間は超越した気持ちになるから不思議だ。

どうでもいいけど森見作品はちょくちょく「マジックレアリスム的」だと言われますが、その具合が、本著が一番ちょうどいいように思えます。現実の中にたまに非現実がある。『有頂天家族』もいいんですがあれは設定がそもそも狸だからね。

あんまりマジックレアリスムすぎると、個人的には過多になっちゃう。少し不思議くらいがちょうどいい。

p226

私は色々なことを思い出す。

彼女は太陽の塔を見上げている。鴨川の河原を歩きながら、「ペアルックは厳禁し ましょう。もし私がペアルックをしたがったら、殴り倒してでも止めて下さい」と言う。琵琶湖疏水記念館を訪れ、ごうごうと音を立てて流れる疏水を嬉々として眺めて いる。私の誕生日に「人間臨終図巻」をくれる。駅のホームで歩行ロボットの真似を して、ふわふわ不思議なステップを踏む。猫舌なので熱い味噌汁に氷を落とす。

ここの寂寥感。最高ね。失恋したことある人なら分かってくれる人もいるはず。本当に好きだったんだな。

p228

 彼女が帰って行ったあと、四畳半に座り込んで、何をしていいものやら分からず、 やや呆然とした。思案の末、こういう場合には飲んだくれるのが型にはまったやり方 ではないかと思い、酒を飲んで型にはまってみることにした。我ながら実に人並みな やり方であると悦に入り、飾磨に事情を書いたメールを送った。

 彼からはこんな返事が来た。

「幸福が有限の資源だとすれば、君の不幸は余剰を一つ産みだした。その分は勿論俺が頂く」

 私は酒を飲みながら、くくくと笑った。偉い男だと思った。

ユーモアだよな。飾磨。いい男だ。それでこそ。

そして物語が終わる。寂寥感たっぷりに。

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