『小説 日本婦道記』感想 周五郎先生、時代小説は生きづらい世の中です

時代小説というものが、すでに老害製造機ではありますね。
もちろん、あたくしは大好きなジャンルなんですが、気をつけて読まないと「昔は良かった」となりがち。そこにはあたくしは徹底的に懐疑的です。今のほうがいい。

位置: 877
「学問諸芸にはそれぞれ徳があり、ならい覚えて心の 糧 とすれば人を高めます、けれどもその道の奥をきわめようとするようになると『妻の心』に 隙 ができます、いかに猟の名人でも一時に二兎 を追うことはできません。妻が身命をうちこむのは、家をまもり良人に仕えることだけです、そこから少しでも心をそらすことは、眼に見えずとも不貞をいだくことです」

これはフェミニストの方がみたら卒倒するご意見。周五郎先生、大変な時代です。
しかし、これに感銘を受けるひとも少なからずいたということだな。時代だ。

位置: 948
姑はあちらを向いたままそう云った、 「お酒くらいはもうつねづね用意して置かぬといけませんね、こんな時刻になって買いに出るのは恥ずかしいことですよ」
はいといって頭をさげると 泪 がこぼれそうになった、菊枝は口のなかで 詫びながら気もそぞろに厨口から出ていった。……

これを良しとするかどうかはその人の価値基準によりますからね。

位置: 1,430
実家と縁が切れるくらいは、さして悲しむにも及ばないではないか、もともと女には婚家のほかには家はないのだから、そう思いなおし、自分にとっては 生甲斐 も希望も、すべてこの家と良人のなかにあること、女としてはこれからほんとうの生活が始まるのだということを、考えるのだった。

「女三界に家無し」を落語では「三階に住んじゃいけない」と諭すくすぐりがありますが、まさにそれだし、今はみんなこの言葉を知らない上に価値を置かない。
時代というのはまさにそういうもんだなぁ。

位置: 1,552
それにしてもこの頃の自分はどうだったろう、僅かな衣装や道具を売り、出稽古をすることなどがいかにも安倍の家のためであるように思いあがった、姑に小言を云われると自分を反省するよりさきに相手の理解の無さをうらみ、自分のつくしたことが徒労だなどと思った、いったいそれほどのことを自分はしているだろうか、あの藪の蔭にひめられていた良人の真実に比べられるほどの、どんなことをしているというのだろう。……由紀はからだがかっと熱くなり、恥ずかしさのために思わず 拳 をにぎりしめた。

この本が再び脚光を浴びることはないだろうなぁ。
そういうものか。

講談にありそうな話も多い。立派な女性像、というのが割と固定化されていた時代の話ですね。

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