『江戸文学問わず語り』感想② また読みたい #江戸文学問わず語り #円地文子

いまはまだ、読めるレベルにないと判断しました。

前回も書きましたが、浅学なのを恥じるのみ。
十返舎一九や滝沢馬琴など、まるで無知。これでは読んでも意味が分かりません。とんだエッセイ本でした。
悔しいのでまた出直してまいります。

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彼(馬琴)は博識を誇って、世間の戯作者流とは類を異にすると自負してい、そのために当時の江戸の文壇では非社交的な高慢な偏人として嫌われていたようです。  まったく十返舎一九の「膝栗毛」や蜀山人の狂歌を喜んでいた江戸の通人にとっては、世の中は何もかも茶化して渡るものと思われてい、四角四面の理屈など並べるのは野暮の骨頂とされていたのです。

なるほどね、何もかも茶化して渡る、か。その浮ついた心は今もあたくしのなかで生きてしまっているかも。やれやれ。

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いずれにしても、私見によれば日本人ほど踊ったり、唄ったりのほかに、何の装飾もない舞台に一人の芸人が坐り込み、彼の話す、講談にせよ、落語にせよ、話術だけの演技を喜ぶ国民も少いのではないでしょうか。西洋のことは知りませんが、その点、日本人は温順と云えば温順、怠けものと云えば怠けもので、他人の話してくれることをきいて、笑ったり昂奮したりすることで結構満足していられたのです。ヨーロッパと違って、日本には市民という観念が歴史的にありません。ギリシャ時代の貝殻追放はもちろん、ローマ時代以来の雄弁術は市民を相手にしてこそ成り立つもので、「知らしむべからず、依らしむべし」のテーゼが国民全体に行き渉っていた日本では、明治になって後、国会の発令などに具えて急に演舌の練習を青年たちが初めたそうです。祖母の話に、明治書生であった父が友達を呼んで来て交る交る机の前に立ち、何か盛んに喋っているのを聞いたといっていましたが、彼らは多分暗いランプの下で、卓を叩いて大衆に訴える雄弁術の練習をしていたのでしょう。

なるほど、そういう時代に生きていた人の話というのはホントに面白い。いまだに生きてますね、おじさん達の中では、「由らしむべし知らしむべからず」。困ったもんですが、それが伝統というやつかもしれません。

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川柳は山葵の利いた短詩型で、江戸ッ子の心髄である辛辣さと溝臭い下品さが特徴です。時代や人間性をえぐり出している点、四条磧の楽書き以来の庶民の声の一つとして興味があると思ったのですが、今度読んでみると、ここに描かれているものには落書き的な思想性はなく、個人の生活の裏を上手に掬い上げている程度のようです。やっぱり人口に膾炙されている、 町内で知らぬは亭主ばかりなり 女房の妬くほど亭主もてもせず  などは名句です。以下記憶にあるものを御紹介しますと、 美しい毒が薬を煎じてる 来べからぬ宵にげじげじぶら下り 傘に吞まれたように路次をぬけ 美い娘母も惚れてのなかに入り お妾は刃物のように美しい

川柳も、いつかまた、やってみたいですね。
とにかく、本著はまだまだ、あたくしごときの手にとるべき本ではありませんでした。またいつか。