武田綾乃著『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編』 夏紀先輩最高です

下手な先輩は存在が罪、その意見もわかるけどね。
でも夏紀先輩が好きだ。

やっぱり、こういう曲、もちろん聞いたことはあるけど名前知らなかったりしますからね。

位置: 508
気心の知れたやり取りに、二人の距離の近さを感じる。テナーサックスとバリトンサックス。高校生活の三年間、彼女たちは互いに身近な場所にいたはずなのに、二人の関係が密になったのは卒業してからだった。人間関係というのはどうにも不思議だ。親しい人間と疎遠になることもあれば、興味のなかった相手が無二の存在になったりもする。

入部早々、火種になった葵先輩が小笠原部長と同じサークルに。
不思議なめぐり合わせというのは確かにあって、人生いろいろ、人それぞれです。

位置: 650
「先輩、やりましたね」
膝を折った奏が、上目遣いにこちらの顔をのぞき込んできた。前髪の下にある両目には、気の抜けた自分の姿が映り込んでいる。その黒い水面に浮かんだ感情は、ぞっとするほど柔らかかった。食パンにかじりつくみたいに、彼女の心にそっと歯を立ててみたい。舌の裏で押し潰すようにして味わえば、きっと未熟な味がするのだろう。

「彼女の心に、そっと歯を立ててみたい。きっと未熟な味がする」なんておじさんな趣味。高校生の独白じゃないよ、その趣味。少なくともそんな表現はしないでしょう。でもわかるんだなーおじさんだから。

位置: 918
いたが、おずおずと遠慮がちに口を開いた。 「ねえ、希美」 「ん?」 「ほかの子、誘っていい?」
希美の指先に引っかかっていた雑巾が、すとんと床へ落下した。

位置: 1,374
「こうやってみぞれがワイワイしてるのを見るの、変な感じする」  シャリ、と希美がスプーンでかき氷をすくい上げた。

位置: 1,378
「うち、みぞれとはずっと友達のはずなんやけどさ。昔から特別親しいって関係でもなかったから、どうにも接し方がわからんっていうか。あの子、思ってることを言葉にしてくれへんから。あ、いや、もちろん嫌いってわけじゃなくて、好きな友達ではあるんやけど」
慌てたように、希美が手を左右に振る。紡がれる言葉の一つひとつが、久美子の良心を戯れに刺激している。

この関係、立華高校の梓とあみかの関係に類似してる。
武田さんはよほど気になるんでしょうね、疑似師弟関係。

難しいのはみぞれの腕前がいつのまにか希美を大きく引き離していること。それが「リズと青い鳥」の本題でもあるわけですが。

しかし、希美がここまで無自覚なのは、本当にありえるのかしら。希美が無神経なのかみぞれのわかりづらさが究極的なのか。

位置: 1,290
おそろいの水着を着た麗奈が、挑発的に口端を持ち上げる。艶やかな黒髪に指を巻きつけ、彼女は 剥き出しになった素足を交差させた。この一瞬の尊さを、刹那的なまばゆさを、触れられる何かで封じ込めることができたらいいのに。

おじさんだな。

位置: 1,886
「私は、優子が正しいと思う。それは、妥協じゃない。きっと、冷静な判断。無理やりは長持ちしない。いきなり壊れる」  それまで黙り込んでいたみぞれが、強い口調で言い返した。優子の正当性を訴えるとき、みぞれは 饒舌 になる。

みぞれも結構、というか相当、自分勝手な性格。これを「勝手」と呼んで良いのかわからないですが。
優子は正しい、希美は神。その論法からぶれないんですね。非人間的性格から分かりづらいですが、かなりこれ、ラノベ的というか物語の上でしか存在し得ない存在ですよね。リアリティを出すのが難しい。

位置: 1,961
「気にしてるっていう感情が、好意的なものとは限らんやろ?」
「それって、」
息を呑んだ久美子に、麗奈は言った。
「希美先輩は、みぞれ先輩に無意識に嫉妬してる。多分、ずっと前から」

飼い犬に手を噛まれる現象、とでもいいますか。
梓のときは梓は常に上でした。しかし『リズ』の二人のときは明確に立場が逆転する。その時の当人の感情の動きがこの本の読ませどころでもあります。

位置: 2,163
正義感と同情心から湧き上がった憤りが、久美子の胃の底をじりじりとあぶっていた。煮え立つ不快感を抑え込み、とにかく冷静であろうと努める。
「じゃあ、なんで先輩は音大に行くなんて言い出したんですか。みぞれ先輩は、先輩と同じ音大に行くつもりなんですよ?」

正義感と同情心から湧き上がった憤り、ね。同情という自覚が久美子にあるのかしら。しかし、とかく人は独善的に陥りやすい。特に怒りを伴うとね。

気をつけなければなりませんな。

位置: 2,199
先ほどまで力なく伸びていた彼女の足は、すでにしっかりと地面を捉えていた。たくましい二本の足が、自身の最善と信じる道を切り開く。傘木希美とは、初めからそういう人間だった。その道を築くまでに踏みつけた存在を、彼女は意識すらしていないのだ。
みぞれの顔が見たい。そう、無性に思った。サンタクロースの存在を信じる 無垢 な子供にその正体を告げるみたいに、みぞれの抱え込んだもろい崇拝心を粉々に打ち砕いてしまいたい。いつか誰かによって不用意に地雷が踏み抜かれるぐらいなら、いま、久美子自身の手ですべてをリセットしたい。壊れてしまう瞬間の到来を恐れ続けるぐらいなら、強硬手段を取るのもみぞれのためなのではないか。

なんだか希美が悪いやつみたいになってますけどね。
いや、人間大体そんなもんでしょ。みぞれもみぞれだし。いじめっこが悪いかいじめられっこも悪いかみたいな話になっています。あたくしはいじめは早めに芽を摘み取らなかった周りが一番悪いって価値観で生きてるんで、久美子頑張れって感じになりますけどね。

しかし久美子の「脆い崇拝心を粉々に打ち砕いてしまいたい」っていいフレーズ。力強い。きっと武田さんは「崇拝する」側の気持ちに寄り添ってるんじゃないかしら。

位置: 2,461
「そう。でも、青い鳥はリズの言葉を受け入れる。別れたくないはずなのに、それでも彼女は二人で暮らした家から飛び立っていく。どうして青い鳥はリズの言葉を受け入れたのかしら? 鎧塚さんは、どう思う?」
「それは……」
考え込むように、みぞれが眉間に軽く皺を寄せた。唇を引き結び、彼女はじっと足元を凝視する。静止したみぞれを、新山は決して急かさなかった。ただ辛抱強く、彼女の答えを待っている。
きょろりと、みぞれの黒目が左右に動いた。その視線が、一瞬だけ久美子を捉える。薄い唇が、一音一音を確かめるように声を発した。
「多分、青い鳥がリズのことを好きだったから。リズが望むなら、それを受け入れた。リズの選択を、青い鳥は止められない。だって、好きな人が望むことだから。だから、いくら悲しくても青い鳥は飛び立つしかない」

位置:2,469
「わからない。でも、リズに幸せになってほしいって思ってる。それだけは、きっと本当。だから、青い鳥はリズの選択を受け入れる。それが、青い鳥の愛のあり方」
ところどころ言葉を詰まらせながら、それでもみぞれは自身の考えをはっきりと口にした。そうね、と新山が満足そうにうなずく。
「いまのイメージで、一度ソロを吹いてみましょう。鎧塚さんなら、きっと自分なりの音楽を作れるはずよ。あなたにそれだけの力があるって、私は知ってる」
「でも、希美と息が合うか、わからない」
吐露された不安は、これまでみぞれが秘め続けていた本音だった。大丈夫、と新山が力強く言い切る。信頼を全面に打ち出した、目がくらむようなまばゆい笑顔。
「あのソロは、オーボエがメインよ。ほかの音は一切気にしなくていい。ただ、あなたが思うように吹きなさい。そうすれば、きっと周りがついてくる。遠慮なんてしなくていいから、あなたの音を出してみて。いまの鎧塚さんに必要なのは、自分の全力を知ることよ。調整なんて、そのあとですればいいんだから

あくまで「そういう解釈もあるよね」的な話ですけどね。みぞれにとってはそう。んで、希美にとっては?
希美にとっての「リズ」解釈は中途半端なところで止まっている気がします。最後まで明かされない。自分とみぞれの関係が逆転している、ところまでは気づくんですが、そのあと、「なんで青い鳥はリズの言葉を受け入れたのか」まで明かされない。

語らぬ美学もあるとは思いますが、希美はどう思ったのか、あたくしは気になりますけどね。

位置: 2,521
少女の正体を知ってしまったリズの、その苦悩の日々。第二楽章から流れた静寂を貫く、たった一人のオーボエソロ。その一音目を耳にした瞬間、皆が息を呑んだのがわかった。
複雑な指使いを物ともしない、まるで歌声のようなメロディー。放たれた音は繊細で、そのうえ力強かった。濃縮された感情が、ホール内の空気を一瞬にして制圧する。頭を強くぶたれたような、ひどい衝撃が久美子を襲った。圧倒的な音の響きに、いくら意識を逸らそうとしても本能で 惹きつけられる。

みぞれが力を開放したときのソロ。「頭を強く打たれたような」ソロなんですって。打ちのめされる、ってやつですね。あんまりそういう体験ないなー。惹き込まれるってのはあっても、打ちのめされるってことは経験したことない。

位置: 2,571
「希美のとこ、行ってやってくれん」
「それは……夏紀先輩が行くべきじゃないですか」
「うちはあかん」
「どうして」
「うちはあの子を甘やかしてまうから」
そう言って、夏紀は首を横に振った。噛み締められた唇に、 紅 のように血が張りついている。
「優子はみぞれに甘いし、うちは希美に甘い。そのどっちも、希美はいま求めてない」

一斉退部事件のときのしこり、みたいなもんですか。名残、かな。
このあたりの引き際をわきまえてる感じが、夏紀先輩最高ですよ。正しいかは置いておいてね。人間臭い。

位置: 2,611
「うちはさ、そういう理由で泣いたんちゃうねん」
そう言って、希美は自嘲げに笑った。ケラケラと喉を転がす音は、ひどく空虚な響きをしている。
「ショックやった。そう言ったら、伝わるかな」
「ショックっていうのは、みぞれ先輩の演奏がですか」
「そう。もう、本当にグサッてきた。心臓に突き刺さるというか、ね。こんなに差があったんかーって、まざまざと見せつけられた感じ。ずるいよね、みぞれは。ほんとずるい」
平静を装う声が、ところどころかすれている。

位置: 2,624
「ほんまは、最初から知っててん。みぞれに才能があるって。だってあの子、息するみたいに練習するんやもん。中学のころからずっと、あの子は上手かった。でも、それを認めたくなかってん。うちは……うちは、心のどこかで、みぞれより自分のほうが上手いって、思ってたかった。だって、みぞれよりうちのほうが絶対に音楽好きやんか。苦労してる。つらい思いもしてる。それやのに、みぞれのほうが上なんて」

あたくしは割と希美に同情的なんですよね。
圧倒的にみぞれ側の人間でしたが。逆転することのないみぞれですけどね。

こういうときに「ずるい」って言葉を使うあたりが希美の甘さです。そこがいいじゃないですか。みぞれに逆転されるなんて思ってもなかった、っていう。すでに心のどこかでみぞれを「下」にみてきたことを認めてる。

位置: 2,640
音大に行くって言ってれば、同じ立場に立てるんじゃないかと思って。ほんま醜い。音大を志望することが、演奏の腕前を示すわけでもないのに。久美子ちゃんの言うとおり、うちは軽蔑されるべき人間やねん」
そういうことだったのか、と久美子はそこで夏紀が自分を希美のもとに送り込んだ理由を悟った。希美は、己を罰したいのだ。自分の行動がいかに愚かなことだったか、彼女は嫌というほど自覚している。その愚かさを、彼女は断罪されたいのだ。真綿で包むように、優しく慰めてほしいわけではない。だからこそ、夏紀はここに来なかった。どんな理由があろうとも、夏紀は希美を責められないから。

また希美も人間くさいんだよ。
どこまでも真っ直ぐに人間臭い。このあたりが10代って感じですよね。
大人はだいたい、そのへんの感情に見切りをつけてるから。みんな同じような経験、してるからね。

位置: 2,664
久美子の脳裏に、去年のみぞれの顔がちらついた。二人のあいだに存在した、圧倒的な隔たり。互いに対する感情の、交わらない熱量。永遠に埋まらないと思っていた二人の溝は、気づけばその形ごと変化していた。みぞれとはまったく違う形で、希美もまたみぞれに対して強い執着心を抱いている。嫉妬、羨望、屈辱、罪悪感。希美のなかで渦巻く感情は決して好意的なものであるとは言えなかったが、それでも久美子からすれば事態は好転しているように見えた。みぞれにとって、これはきっと前進なのだ。無関心の、単なる友達Aとして扱われるより、よっぽど。

この章のクライマックスですね。
そして妙に引いた場所からみている久美子。貫禄ですね。

位置: 2,672
先へと進もうとする背中に、久美子は思わず声をかける。
「私、やっぱり希美先輩のやったこと、ひどいなって思います。どんな理由があっても、みぞれ先輩に嘘をついたことには変わりないし」
「ふふ、やろうな」
「でも、それでも希美先輩のこと、嫌いにはなれないです」
うめくように言った久美子に、希美はそっと破顔した。伸ばされた手が、久美子の頭をくしゃりとなでる。その手つきが夏紀のそれを思わせて、なんだかたまらない気持ちになった。
「ごめんな。損な役回りさせて」
「謝る相手は、私じゃないです」
「まあ、それもそうやけどさあ。あーあ、久美子ちゃんにやったら、こんなに本音でしゃべれるのになぁ」
それはきっと、希美が久美子のことを脅威と見なしていないからだ。

武田さんは希美が嫌いなんじゃないかな。苦手というか。
梓との決定的な違いは実力。実力の伴わないカリスマが嫌いなのでは。

位置: 3,131
去年、 田中 先輩が部活辞めるかもってなったときに、小笠原部長がうちらについてきてくださいって頭下げたことあったやん。あのとき、吉川部長はさ、『馬鹿にせんといてください』みたいなこと言うたやん。俺、すげー感心してんな。こういうの、さらっと言える人って強いなって」

あんときの優子は本当に格好良かった。
あれが言えるタイプの人間は少ないよ。優子にはそれが出来る。カリスマです。

位置: 3,223
「希美は、いつも勝手」
淡々と、しかしはっきりとした口調でみぞれが言う。その足が、なかと外を区切る敷居を踏み越えた。希美が後ずさりしたのは、無意識の行動だったのだろうか。とっぷりと西日に浸かった世界では、すべてが赤く燃えている。
「一昨年だって、勝手に辞めた。私に黙って、勝手に」
「なんでいきなりそんな昔のこと言うん?」
「昔じゃない。私にとっては、ずっといま」
吐き出された言葉は、間違いなくみぞれの本音だった。とっさに立ち上がろうとした久美子を、夏紀が素早く手で制する。まだあかん。

やれ!やったれ!みぞれ!ってね。
いじめられっこの反撃を見るような。快哉を叫びたくなる。

位置: 3,230
「私は、ずっと希美を追いかけてきた。希美に見放されたくなくて、それで、楽器だって続けてた。私にとって、ずっと、いちばんは希美だった。希美と一緒にいたかったから! だから、オーボエも頑張った!」
勢いに 気圧されたように、希美はじりじりと後退する。頬を伝う汗が、地面に黒い染みを作った。
「そんな大げさな言い方はやめてや」
「大げさじゃない。全部ほんと」
「ずるいやん、そういうの。みぞれはずるい」
希美の声が震える。引きつるようにかすれた吐息が、夕闇のなかに沈んでいく。
「みぞれは、うちより才能あるやんか。それやのに、そんなこと言うん? うちのために楽器をやってたとか、そんなしょうもない言葉で自分のこれまでの努力を片づけるん? みぞれにとって、オーボエってそんな軽いもんなわけ」
「違う」
「違うって、何が」
「オーボエが軽いんじゃない。希美が、重すぎるの。

愛を叫んでます。間違いなく。
それに対して「ずるい」しか言えない希美。すでに完敗の雰囲気。

位置: 3,240
「希美にとってはなんでもなくても、私にとっては特別だったの。だから、」  そこで、みぞれは言葉を詰まらせた。光に濡れる瞳をゆがませ、彼女はふるりと首を横に振った。白色の光を放つ外灯が広場を照らし出している。ジジジ、とうなる虫の羽音が静寂のなかを泳いでいた。
「……ごめんなさい、本当はこんなこと言うつもりじゃなかった。私、希美に感謝してる。ただ、それを言いたかっただけ」

位置: 3,249
「感謝されるようなことしてないよ。むしろみぞれは怒っていい。音大を受けるって言い出したのは私なのに」
「怒れない」
「どうして?」
「だって、希美の選択だから。私は、希美が幸せならそれでいい」
宵の口となり、夕日は山間の奥にその身を隠した。充満する夜の気配が、先ほどまでそこにあったはずの柔らかな赤を追いやる。紫とも青とも取れる、透き通った御空色。みぞれの短い黒髪が、光の加減によってその色を変えている。それは朝焼けに 凪ぐ湖面のような、穏やかで曖昧な美しさを持っていた。希美がくしゃりと破顔する。ぐっと短く鳴った喉が、その奥で感情を押し潰した。
「それ、みぞれに言われるの、なんかキツイ」

みぞれは、希美との「リズ」関係が逆転していることに気づかぬまま。
自分の一言が希美を追い込んでいることに無自覚。ちょっとひどくないですか。
希美も無自覚だったし、みぞれは未だに無自覚。
天才と凡才の違いのようで、理不尽ではあります。

ただ再三言いますが、才能があるないというのは「大騒ぎするほどのことじゃない」んですよ。これはあくまであたくしのスタンスですがね。

位置: 3,262
踏み出された一歩が、二人のあいだに存在していた距離を縮める。希美はその腕のなかに飛び込むと、みぞれの背中に腕を回した。ぎゅうっと力の込められた両腕は、ぬいぐるみを抱き締める幼子のようだ。
「私、希美がいなかったら、きっと楽器を吹いてなかった。なんにもなかった。だから、ありがとう。全部、希美のおかげ」
「うちはなんもしてへんって。みぞれが全部自分で頑張ったことやん」
「それでも。私は、希美のためにここまで吹いてきたから」
みぞれが瞼を閉じる。噛み締めるようにつぶやき、みぞれは希美の肩に額をうずめた。
「最初に会ったとき、優しくしてくれてうれしかった。私みたいなやつに声をかけてくれて、友達になってくれて。みんなを引っ張っていくところ、すごいなって思ってた」
「うちも、みぞれの努力家なところ尊敬してる。明後日のコンクール、ちゃんとみぞれの音を支えるから、うちが」
「私、希美のこと、大好き」

位置: 3,273
「ありがとう……私も、みぞれのオーボエ大好き」  優しい動きで、希美がみぞれの肩を押し戻す。みぞれは何も言わず、ただ黙ってうなずいた。

ひどい話だ。
みぞれの暴力的なまでの真っ直ぐさ。嘘じゃないだけに希美には辛かろう。
「私も、みぞれのオーボエ大好き」って悲しいセリフ。みぞれのことじゃないんだ。精一杯紡ぎ出せた言葉だろうな。
「そろそろ行くわ。長居したら邪魔やろうし」
「もう行っちゃうんですね」 「何? 久美子ちゃんってばそんなにうちのことが恋しかったん?」
身をくねらせるあすかに、久美子は言葉を詰まらせた。そのとおりだった。  うつむく久美子に、あすかがふと口元を緩める。
「もー、しゃあないなぁ。じゃ、久美子ちゃんには特別、この魔法のチケットを授けよう」
ふざけた口調でそう言って、あすかは一枚の絵葉書を取り出した。一面にひまわりが咲き乱れている、美しい風景だ。
「ほんまに困ったら、一回だけ助けたげる」
受け取った絵葉書を、久美子はそっと裏返す。そこには、見覚えのない住所があすかの文字で書き込まれていた。
これが最終楽章で生きてくるんですがね。というか、この次の幕間の話で種明かしはされるんです。小粋ですよね、小物の使い方が。
夏紀はにやりとその口元をゆがめると、乱雑な手つきで奏の頭をなでた。何するんですか、と奏が唇をとがらせる。その反応に、夏紀は愉快そうに肩を揺らした。吊り目がちな両目が、やわらに細められる。
「去年、うちはここにおらんかった。みんなを見守ることしかできんかった。だけど、今年はここにいる。そのことが、びっくりするほどうれしい」
そんな色々なゴタゴタを巻き込んで含めて、夏紀は愉快そうに肩を揺らすんですよ。最高じゃないですか、副部長。
「久美子ちゃん」
二人の会話に、緑輝が強引に割り入る。赤色のストローを唇に触れさせたまま、緑輝はにっこりと笑顔を浮かべた。
「入部してきたときね、求くん、親戚に吹奏楽関係者の人はいないって言ってた。だからね、それ以上のことを探る必要はないんとちゃうかなって緑は思う。求くんは求くん、緑たちの可愛い後輩。ただ、それだけのことなんやから」
よくよく考えれば、強豪校オタクである緑輝がその名の意味に気づいていないはずがなかった。それでも緑輝がそれを追及しなかったのは、ひとえに求が嫌がったからだろう。記憶をたどると、いまさらになって求に対する奏の挑発的な台詞の意味が理解できる。おそらく、奏も初めから求の秘密に気づいていた。だからこそ、求は苗字で呼ばれることを拒絶したのだ。
「……緑ってすごいね」
「何が?」
「そういうところが」
久美子の言葉に、緑輝が大きく腕を振った。跳ね上がる太ももが、アスファルトの地面を蹴る。
「ぜーんぜん! 緑は好き勝手してるだけやから」
カッコよすぎる、と真顔でつぶやく久美子に、麗奈が顔を逸らして噴き出した。
緑はすごい。あたくしなら部長に押したい。「それ以上追求しない」って大事なスキルですよね。
久美子の優柔不断さは副部長向きだと思います。
「私、いっぱい考えた。わかるって言われて、それで」
最初、久美子はその言葉の意味が理解できなかった。不自然に空いた間を埋めるように、みぞれが「合宿」と短くつぶやく。そのひと言で、ようやく久美子は合宿時にみぞれと交わしたやり取りを思い出した。
「あのときの、」
「うん。私、頑張ろうと思う」
「音大受験をですか?」
「それだけじゃなくて、音楽を。希美がいなくても、私、オーボエを続ける。音楽は、希美が私にくれたものだから」
だから、とみぞれが気恥ずかしそうに下を向いた。頬に刺さる前髪が、柔らかに緩んでいる。
「私、応援してます。みぞれ先輩のこと」
「……うん」
やっぱり希美かい!って希美シンパとしては思いますけど、まぁ、いい落とし所。
心臓が痛い。細い鎖と化した罪悪感が、久美子の良心を締め上げている。それでも、久美子は言わねばならない。秀一が不機嫌そうに眉をひそめた。彼には、その権利がある。
「最後の一年間、部長の仕事に専念したいの。私、優子先輩みたいに要領がよくないから、多分、いろんなことを同時にやったりはできない。だからね、秀一とは距離を置こうと思う」
恐ろしくて、顔を上げられない。砂まみれのスニーカーを凝視しながら、久美子は一気にまくし立てた。
「もしも一年後、部活がすべて終わって、それでも秀一が私と付き合ってやってもいいって思ってくれたら、そのときにもう一度それを渡してほしい。ほかの誰かにあげてほしくはないけど、もし秀一が私以外の子を好きになったとしても仕方ないと思う」
久美子、男前の図。
まぁ、秀一は待っちゃうよね。待っちゃうよ。惚れた女の頼みだもん。
ま、これが脳内じゃ流れちゃうけどね。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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