『黒いトランク』感想 どことなく容疑者X

なんとなくね。誰かのために殺人を犯す、という点以外にも、類似点。トリックが良くできているという点も似ているか。

汐留駅でトランク詰めの男の腐乱死体が発見され、荷物の送り主が溺死体となって見つかり、事件は呆気なく解決したかに思われた。だが、かつて思いを寄せた人からの依頼で九州へ駆けつけた鬼貫の前に青ずくめの男が出没し、アリバイの鉄の壁が立ち塞がる……。巨星、鮎川哲也の事実上のデビュー作であり、戦後本格の出発点ともなった里程標的名作。綿密な校訂による決定版!

鮎川氏の作品は初読だな。時刻表モノであることを除けば割と好みでした。

位置: 2,078
「ところできみを前にしてこんなことをいうのも気がひけるけど、おれの考えからいくと密貿易だの麻薬の密売という行為は、無力で善良な大衆の生命を直接うばうような強盗殺人にくらべて、どうも憎めない犯罪なんだな。 阿片中毒者にしても、わるいのは阿片ではなくて中毒者なんだ。中毒者の意志のよわさなんだ。いまの生存競争のはげしい世の中では、こんな意志のよわいものは脱落して野垂れ死にしたほうが、社会のためにもなる。おれが厚生大臣なら大いに麻薬を供給して、意志薄弱な奴等を野垂れ死にさせ、社会からゴミを一掃してやるね」
筋のとおらぬ話だ。鬼貫がそれを指摘しようとすると、蟻川はすばやく手を上げてさえぎった。
「まあ待てよ。おれはそうした考え方をもっているもんだから、近松が麻薬を扱っているという話を知っても、べつに非難めいたことも言わなかったし、やっこさんも隠さずに何でもうち明けていたわけだ」

ちょくちょく出てくる違和感のある思想が生々しいんですな。比べるとどうしても鬼貫にシンパシーを感じるようにできている。ゲテモノばかりをだして主人公を身近に感じてもらう作戦日?

位置: 3,741
翌々日登庁しようとして服にブラシをあてているとき、一通の手紙が配達された。裏をかえすと蟻川愛吉とある。鬼貫は読まずに内容を理解できたと思った。
彼は卵色の洋封筒を片手にもち、机の上のペーパーナイフをとって器用に封をきった。そしてイスに腰をおろすや置時計にちょっと視線をはしらせて、レターペーパーをとりだした。十五枚にわたって細かい文字でぎっしりとしたためられているのを見ると、ゴクリとのどを鳴らし、ついでひきずりこまれるように読みはじめた。

いいラストへの描写。バディの片方が犯罪を犯す。
それを名探偵が分かってしまう。これは辛いね。

位置: 3,761
だが近松を殺害するに至った事情は全く異る。之は単なる義憤にしか過ぎない。殺人を犯さんとした僕の、謂わば毒喰らわば皿までという気持も手伝っていた。 若し馬場が非を悟って僕の勧告に従ったとしたならば、僕とて決して近松を殺しはしなかったろうと思う。
近松は徹頭徹尾 卑怯 極まるオポチュニストであった。時流に投じ時流に 阿んが為には、 紺屋 の壺に跳び込むように、いとも簡単に青くも黄色くもなる。元来が主義も主張もない男だから保身の為には七面鳥の如く色を変え、敢えて恥じることもない。
こうした近松が君と由美子さんを争った時、どれ程破廉恥な術策を弄したかは想像するに難くあるまい。後年僕は某君からそれに就いて聴く所があったが、 怜悧 な由美子さんをして君の中傷を信ぜしむるに至ったテクニックは正に神技というべく、決して由美子さんを責めてはならないのだ。

ひどい言いようだ。気に入った。

位置: 4,000
僕が先述した如く麻薬に親しむようになったのは、この病いの苦痛を軽減する目的からであったが、それと同時に、僕は死を前にして救いを宗教に求めた。大乗教と小乗教、カソリシズムとプロテスタンチズムを遍歴して遂に行きついたのが、何者よりも平和を愛し誰よりも暴力を否定するクェイカー教であった。戦争末期沖縄に上陸したクェイカー教徒の兵隊が日本本土の爆撃反対を具申した報道を読んで、所信を堂々と述べることの出来る民主的な軍隊組織を 羨しく思うと共に、クェイカー教徒のヒューマニズムに心を打たれた記憶がある。

クェイカー教とは。あまり聞かないので調べてみました。
新渡戸稲造氏はクェイカー教徒なんですってね。

しかしこの時代の物語は必ず戦争の残り香がありますね。好きです。

位置: 4,016
その他に結核対策、救癩事業等々に 頒 けると僕の遺産は皆無となる。馬場の遺族とは違い、由美子さんには一文も贈与せぬこととした。彼女には今迄の苦難の結婚生活を取り返すべく、温かい愛情と激励を与えて呉れる人のあることを信じているからだ。鬼貫君、君が今迄何の為に独身を守ってきたかをもう一度考えて呉れ給え。由美子さんは君に対する非を悔いつつ十年間の 忍従 の生活を甘んじて送ったのだ。しかし今や凡てが元に還ったのではないか。君は素直な男だったし、世間態を気にして 右顧左眄 する意気地なしでもなかった筈だ。 天の邪鬼 なことは言わずに、その胸に温かく由美子さんを迎え給え。さもないと化けて出るぞ、呵々。

呵々、とは使わないねぇ今。
押し付けだとは思うけど、友情だとも思いますね。

きっと蟻川の心の中はすっきりした青空のような心持ちだったろうな。

位置: 4,029
親しき友よ、健在なれ。
一月十二日早朝 蟻川愛吉
鬼貫君足下

完璧な去り際。

位置: 4,141
「こいつは滑稽ですなあ。日本の漢学者は数百年間カアカアいってたわけですね」
「そこなんだよ、長いあいだ信じられていたものが、ちょっとした解釈の相違でひっくり返ってしまう。Xトランクにつめてあった屍体がどうしてZトランクに入れ替えられたかという謎も、それが不可能であったのは解釈の方法があやまっていたからなのだ。判ってしまえば、あまり簡単で馬鹿馬鹿しいことなので、きみは笑いだすに違いないよ。きみにしろぼくにしろ、一つの現象に対して一つの解釈しかないものと思いこんで、それに固執していたのがそもそもの間違いなんだ。もう一つ例をあげてみればだね、先刻のきみの質問に対する答になるんだが、ぼくがながめていたのは、あの小学校の屋根についている 風見鶏 だよ。ウェザークックというやつさ」

こういうトリックが一番おもしろいね。
そうだったのか!っていう。読者の灯台下暗しを誘うっていうね。

読むのに時間はかかったけど、面白かったなー。

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