福永武彦著『草の花』感想 これは素晴らしい青春文学

数多ある青春文学の中でも、こいつはすごい。

研ぎ澄まされた理知ゆえに、青春の途上でめぐりあった藤木忍との純粋な愛に破れ、藤木の妹千枝子との恋にも挫折した汐見茂思。彼は、そのはかなく崩れ易い青春の墓標を、二冊のノートに記したまま、純白の雪が地上をおおった冬の日に、自殺行為にも似た手術を受けて、帰らぬ人となった。まだ熟れきらぬ孤独な魂の愛と死を、透明な時間の中に昇華させた、青春の鎮魂歌である。

また、この紹介文のネタバレ具合もすごいですけどね。
出版して半世紀以上経つので、ネタバレも何もないけど。

出版は1956年。戦後まだ10年しか経っていないときか。

位置: 152
「君はよくそんなに平気でいられるね、」と私は汐見に言った。
「僕 の精神が生きている限りは、」と彼は答えた。「僕という人格は僕のものだよ。」
「大きく出たね。しかしその君の精神とやらは、肉体の 泯 びることに何の痛手も感じないのかい?」
「肉体は泯びるさ、そんなことは分っている。分っているからこそ、僕は僕の精神を大事にしたいのだ。君だってそうだろう。」
「しかし君、肉体が少しずつ参って行くのを見詰めるのは、耐えられないじゃないか。肉体が死んじまったら精神もへったくれもないんだから。」
「それを見詰めるのが生きていることだ、」と汐見は毅然として言った。

肉体が死ぬのを見詰めるのが、生きること。

そう言い切る汐見さん、どんだけ辛いことがあったんだろうか。その境地はなかなか至れぬ。

位置: 248
しかし私が彼について覚え始めた親愛の情が、同じ割合で、彼から私に返って来たとは思われない。彼は冗談も言ったし、人を笑わせもした。気が向くとよく 喋った。が、彼はいつも自分の廻りに一種の孤独を置いた。私と親しく話をしていた時でも、彼は彼の孤独の中から、特に 胸襟 を開いて歩み寄って来ることをしなかった。しかも自分の過去については一切口を 緘していたから、このような孤独の原因が何であるのか、もとより私に知るところはなかった。

常にそうやって生きていきたいね。自分の廻りに、一種の孤独を置く。
それって普通のことでしょう、と思いますね。

孤独のない人間は浅い。

位置: 1,565
靭く人を愛することは自分の孤独を賭けることだ。たとえ傷つく 懼 があっても、それが本当の生きかたじゃないだろうか。孤独はそういうふうにして鍛えられ成長して行くのじゃないだろうかね。
僕は聞いているうちに、何だか自分のことを言われているような気がした。春日さんは 暫く黙っていたあとで、穏和な微笑を浮べながら言葉を継いだ。

孤独を鍛える、いい言葉だなぁ。
自分は若い頃、孤独を恐れていたからな。

位置: 1,607
──傷ついているのは君の方だろう、と春日さんは答えた。藤木はただ愛されるだけなら、傷つくもつかないもないさ。しかし君は、汐見、自分で自分を傷つけちゃいけないよ。君が本当に成長し、君の孤独が真に靭いものになれば、君は自分をも他人をも傷つけなくなるのだ。自分が傷つくような愛しかたはまだ若いのだ。

孤独を強くして、誰も傷つけなくする。
この発想はなかった。

しかし、そういう生き方を目指したくなる。

位置: 1,611
春日さんは一瞬暗い顔をしたが、直に気を取り直したように僕に言った。  ──脱線したけど、とにかく部をやめるのはよしたがいい。君は弓にはいってもう二年も一緒に暮したんだから、君の存在が与える責任というものもあるのだ。与えられた場所で生きられない人間は、 何処 に行ったって生きられないよ。

春日さんも、この時点で大学生だもんな。

そんなことないんだけどね。与えられた場所で生きなきゃいけない理由なんて。
生きる場所は自分で選べる。これも現代人の発想なんだろうが。

位置: 1,706
あたりは暗く、海の上で漁火が水にきらきらと光った。僕は藤木と一緒にいるこの瞬間を、永遠のように愛した。こうして二人きり向き合ってさえいれば、それで僕の幸福はすべて 充 されるのだ。僕は再び溜息を吐いた。が、藤木はそれを別の意味に取ったらしい。
──そうなんです。みんな余計な心配なんです。僕はそんな、汐見さんが苦しんでいるのなんか 厭 だ。
──だってしかたがないじゃないか、藤木。僕は苦しむように生れついているんだ。
──それでも、僕のことでは苦しんでほしくはないんです。
──愛していれば苦しくもなるよ、と僕は言った。

美しいシーンだ。しかし、どうしてそう、耽美的になるかね。感傷的すぎるとでも言うか。

まだまだ孤独を強く出来ていない頃だね。

位置: 2,178
──ね、一つ艪を探してみようや。その方が、……
──いいんです、今更どうにもなりやしません。それよりこうしていましょう、こうして待っていましょう。
──君がその方がいいのなら……。
それは藤木が僕を愛していることではないだろうか。こうしていたいということ、艪のなくなった舟の上で、 為すこともなく、二人手を取り合って待っていたいということ、それは藤木が僕を愛している証拠ではないだろうか。いつまでもこうして、不安の重みを量っていたいということは。僕は藤木のかぼそい身体を抱き寄せるようにした。
そして僕の意識の全領域を、あのいつもの 眩惑、気の遠くなるような 恍惚 感 が占めた。もう森のことも矢代のことも考えなかった。

いいラブシーンだな。艪のなくなった舟の上で二人きり。
BLか。耽美的。素晴らしいね。

位置: 2,289
──あの時は一緒にいてほしかった。
──どうしてだろう?
──あの時は何だか死ぬんじゃないかと考えていた。もしああして死んで行くんなら、汐見さんを愛することが出来るような気がしていました。
──じゃ今は駄目みたいじゃないか。
──今? 今は生きてるから愛する人なんか要らないと思う。
──じゃあの晩だけのこと?
──ええ、きっと死にそうな気がしていたからなんでしょうね? だって一人きりで死ぬのはあんまり寂しいもの。
そして藤木は、持前の 憂 わしげな表情で、眼の下の海をじっと 眺めていた。
恐らくその時には、 Cupidon の小さな翼は既に飛び去ってしまっていたのだろう。しかし僕はそれに気がつかなかった。僕はその横顔を見詰め、それを美しいと感じ、このような美しさの感覚が、なお physique ではなく霊的な要素であることを信じた。

単なる吊り橋効果だった、と。

藤木の孤独には触れなかったんだな。

位置: 2,391
僕は僕の空想癖から、或いは彼女を Beatrice と思い、或いは Laura と思った。彼女の表情が刻々に変って 捉えようがなかったように、僕は彼女を空想の美人にいちいち当てはめ、 Chloë の 如く Isolde の如く愛した。

衒学的ですね。全く。
しかしそうでなくては表現できない感情というのもある。

ちょっと背伸びしたかったんだな。

位置: 2,747
心から千枝子を愛していながら、恐らく僕は、一方であまりにも自分の孤独を大事にしていたのだろう。藤木忍を 喪って以来、僕は人間が生れながらに持っている氷のような孤独が、たとえどのように燃えさかる愛の 焔 に焼かれようとも、決して溶け去ることのないのを知りすぎるほど知っていたのだ。

藤木の次は妹だよ。

節操がない、と感じるかどうか。微妙なところですね。何をどう言い訳しようとも、節操は無い気がする。どんな心持ちなんだろうな。自分には到底できない。

位置: 2,881
──ただね、信仰というものは 悦びだと思うのよ。福音を聞くということは、同時にその福音を他人に伝えたいという悦びを伴うものでしょう。信仰の悦びは、それが心に 充ち 溢れて来ると、それをどうしても人に伝えたくてたまらなくなるような、自分だけがそれに 与っているのは惜しいような、そんな種類のものなのでしょう。

キリスト教の大学に行っていながら、キリスト教の教えはピンとこなかったんでね。
福音が悦びだとか言われても全然わからん。

位置: 2,937
──僕は孤独な自分だけの信仰を持っていた、と僕はゆっくり言った。しかしそれは、信仰ではないと人から言われた。孤独と信仰とは両立しないと言われたんだ。僕の考えていた 基督教、それこそ無教会主義の考えかたよりもっと無教会的な考えかた、それは宗教じゃなくて一種の倫理観だったのだろうね。僕はイエスの生き方にも、その教義にも、同感した。しかし自分が耐えがたく孤独で、しかもこの孤独を 棄ててまで神に 縋ることは僕には出来なかった。

少し分かりますね。宗教は組織化されたときから腐敗が始まっていますからね。

それに宗教は倫理と本質的に違わないと思うんですね。

位置: 2,945
──普通にはそうなんだろうね、孤独というのは弱いこと、人間の無力、人間の悲惨を示すものなんだろうね。しかし僕はそれを 靭 いもの、僕自身を支える最後の 砦 というふうに考えた。傲慢なんだろうね、恐らくは。けれども僕は、人間の無力は人間の責任で、神に頭を下げてまで自分の自由を売り渡したくはなかった。君の兄さんが死んだ時に、僕は神も仏もあるものかと思ったよ、僕はそんな無慈悲な神に少しでも未練のあった自分が情なかった。あの時の気持は忘れられない。

無力は人間の責任で、神に頭を下げてまで自由を売り渡したくない。

いい価値観だな。好きだ。傲慢結構。

位置: 3,059
左翼運動の退潮期に育ち、充分にマルクシズムを研究するだけの環境を持ち得なかったが、もし彼等が、あの血なまぐさい革命を終局に予定しているのでなかったならば、きっともっとはっきりした意志を示し得ただろう。要するに、僕は何にでも反抗した。 基督教にもマルクシズムにも、家庭にも学校にも、──しかしそれらは結局微温的な、自分が損をしない程度の反抗にすぎなかった。

そういうもんよ。損をしてまで反抗するか、って言われると、小賢しい人は逃げる。その代表があたくしだと思っています。

位置: 3,457
──君が愛してさえくれればいいんだ。
──愛するといったって、……ねえ汐見さん、本当の愛というものは、神の愛を通してしかないのよ。
──僕はそうは思わない。愛するということは最も人間的なことだよ。神を知らない人間だって、愛することは出来るんだよ。

倫理観の違う人間同士で話してもすれ違うだけさ。

愛だの何だの、定義が違う人間で話しても無駄だね。シニカルだな、自分。

位置: 3,491
僕の孤独も無力かもしれないが、少くとも神なんかに頼って、この神が日本を救えと命令したなんぞと考えるよりは、百倍も正直で人間らしいと思うのだ。神がいたら苦しまなくても済むかもしれないのに、神がいないからこそ、僕は人間らしく苦しむことが出来るのだ。愛することも、苦しむことも、神とは関係がないと思うよ。

いやまさに。現代的な考え方なのかね。神無き世代の傲慢さなのかね。

位置: 3,505
──そう、とかすかに 頷いた。
僕は両手の間に頭を埋めて、言いようのない悔恨を感じ始めていた。どのように口を酸くして語り合ったところで、人は自分の意志を他人に押しつけることは出来ない。千枝子が神を信じなくなるわけでも、また僕が神を信じて基督教徒になるわけでもない。愛もまた、──恐らくは愛もまた、人が心の中に描いたイメージを、自分自身の孤独で 彩り、勝手な、都合のよい夢を見ているだけなのだ。むかし藤木忍は、僕がどのように意中を打明けても、僕の愛を理解し得なかった。藤木千枝子も、恐らくは、僕のこの燃え上る心を、地上の 空しい幻影としか見ないだろう。こんなにも天上の、楽園の、永遠の愛を夢想する僕も、ただ神を信じていないばかりに、千枝子の 眼 からは単なる不法の人としか思われないだろう。

信じる神が違うことが、人間関係の終わりになる。
それって悲しすぎませんか。所詮は信じているものの違いなんだけどな。

人に期待するからこういうことになるんだ。と、今のアタクシは思いますね。期待するからだよ、ってね。

位置: 3,625
僕は彼女のことを忘れようとつとめていた。孤独、──いかなる誘惑とも闘い、いかなる強制とも闘えるだけの孤独、僕はそれを英雄の孤独と名づけ、自分の精神を 鞭打ち続けた。

しかし些か自己愛が強いね。ナルってるね。
自己陶酔しているね。

位置: 3,643
いま僕が兵隊に行くという最後の時に当って、彼女と会わずじまいで別れるというのはいかにも不自然な気がした。たとえ 誰 と婚約しようと、千枝子は僕の最も近しい友達なのではないだろうか。それに彼女の母親とも会いたかった。
しかし僕は直に 反撥 した。僕は孤独な生きかたを自分に誓ったのだ。ここで千枝子に会うことは、ただ他人の同情を 惹くだけの感傷的な行為にすぎないだろう。それは自分の弱さを露呈する以外の何ものでもないだろう。今さら千枝子に会い、その快活な笑顔を見、その少し甲高い声を聞いて、彼女の印象を僕の記憶に新しく刻み込んで行ったところで、それが戦場に置かれた僕に何の支えになるというのか。支えは自分の孤独しかない、理性的な行為と理性的な死とを自分に課す、この厳しい小宇宙の他にはない。要するに問題は僕一人に限られ、もはや千枝子が僕の内部に干与する余地は、残されていない 筈 だった。

でも引き際は悪くないぜ。
黙って去る、それが大人の仕業ね。孤独はいい。
孤独を愛するのだ。

まとめ

素晴らしい青春小説でした。
自分のルールに自分で絡まっている感じが、まさに青春だ。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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