『秘太刀馬の骨』感想 これぞ藤沢周平

宮部みゆきさんがオススメしていたので読了。
いや、これはまさに時代小説。エモいのなんの。

北国の某藩で、筆頭家老が暗殺された。暗殺につかわれたのは、幻の剣「馬の骨」。下手人不明のまま、それから6年。闇にうもれた秘太刀の探索を下命された半十郎と、その上司の甥で江戸からやってきた銀次郎は、ソリが合わぬまま、藩内の剣客ひとりひとりと立ち合うことになる。「馬の骨」を伝授された者はだれか?一体どのような剣なのか?やがて秘剣のうらに熾烈な政治の暗闘がみえてきて……。“下手人さがし”というミステリーの味わいも深い、藤沢時代小説の傑作。

どうしてこんなにエモいのかね。ハードボイルドとも言っていい。

後半の謎解きパートはちょっと難解でした(人間が沢山急に出てきてパニック)が、読了感はさすがの一言。藤沢周平、すげぇ。

位置: 78
「以前はそういうことはもっと気楽に考えておったものだ。新五郎にどうしても子が生まれなければ、養子を迎えればよいと思っていたが、近ごろは少し考えが変って来よった」
帯刀の声はややひとりごとめいて来た。
「齢を取ると若いころとは考えが変って来るようだ。よくも変り、悪くも変る。ともかく若いときのままではいられぬ。いまごろ子が欲しいと思うのも、あるいは 悪しき妄執のたぐいかも知れんが、望月の二の舞は避けたい」

こういう私的な感情の動きについて、淡白に描くのが藤沢周平のいいところだと思いますね。
急に人物が立体感を持つ。

位置: 1,038
茂兵衛は汗をかいていた。汗どめの鉢巻が変色するほどの汗をかいているのに、汗はなおも茂兵衛の髪を濡らし、肉の厚い頬を濡らしてしたたり落ちている。だが半十郎をおどろかしたのはおびただしい汗ではなくて、乱れた髪の下からひたと銀次郎を見つめている茂兵衛の眼光だった。ひややかな目の光にうかんでいるのは、疑いもない殺気である。
──機があれば……。
試合にことよせて打ち殺す気だ、と半十郎は茂兵衛の気持を読んだ。
何のためかは考えるまでもなかった。秘太刀「馬の骨」の秘密を保つためである。といっても、必ずしも茂兵衛がその秘太刀の継承者であるとは限らないだろう。たとえばほかの者が継承者であっても、その機さえつかめば茂兵衛は相手を打ち殺して、秘太刀にかかわる禍根を絶つつもりだと思われた。

難しい言葉を使っているわけじゃないけど、重々しいんですよね。
それでいて分かりやすい。いい文章読んでいるなぁ、という気がする。

位置: 2,226
「すると長坂は……」
登実がまだ不安が残る顔で銀次郎を見た。
「あなたさまと恥ずかしからぬ試合をしたのでしょうか」
「もちろん、もちろん。それがし完膚なきまで敗れ申した」
銀次郎の言葉で、半十郎は死闘ともいうべき二度目の試合をふり返っていた。この試合では権平は終始先手をとって技を仕かけ、最後には拳割りの一撃で銀次郎をふっ飛ばした。砕かれた拳を胸に抱えて、 毬 のように地面に身をまるめた銀次郎の姿がうかんでくる。
「まことに男らしい試合ぶりでござった。さすが権平どのは矢野道場の籠手打ち名人、矢野の名を辱しめぬ遣い手でござる」
半十郎がほめると、登実の目がさっと赤くなった。半十郎は銀次郎をうながして膝を起こした。権平の妻女を、気持よく泣かせてやろうと思ったのである。
外に出ると銀次郎がぼやいた。
「しかし、結局はカラ騒ぎだったな。あれほどの試合をしても『馬の骨』らしき技は出て来なかった。おれが大怪我をしただけだ」
「ま、いいではないか。権平が秘太刀の主でないことはわかったわけだから」

いい描写だなぁ。気持ちよく泣かせてやろう、ってね。
思ったことないなぁ。人が泣いている前でぼーっとしてたらあとから「空気読めない」と批判されたことはある。あれ、どうすりゃ良かったのか。

位置: 2,452
「はたしてそうかな、飯塚孫之丞」
銀次郎はにやにや笑いをひっこめた。そして声にわずかに 恫喝 のひびきをつけ加えた。矢野道場の高弟たちに試合を強いているうちに、脅しもうまくなったようである。
いやな男だ、と半十郎は思った。はっきりそう思ったのははじめてだった。脅されているのが自分の配下だからというだけではない。半十郎は近ごろ、秘太刀「馬の骨」に対する銀次郎の執心ぶりに、やや偏執的なものを感じる。
また、これまでの 苛酷 といってもよい試合の経過は逐一銀次郎から聞き、軽くはない 怪我 をした 甥 を見てもいるはずなのに、依然として秘太刀の探索を中止させる気もないらしい小出家老にも、不信感が動く。銀次郎の怪我をひと目見れば、甥がまかり間違えば命にかかわる試合をしていることはわかりそうなものではないか。  ──それでもやめさせないわけは何だ。

まったく、謎だ。
しかしのこの銀次郎という人間の嫌味が非常に良い。嫌な人間だが、狂言回しとして上手に機能している。バカのようであり、しかし強い推進力。

位置: 3,065
──十歳か。
と半十郎は思った。あけはなした窓の外に、三月の空が青くひろがっているのを見上げた。風もなく、午後の日の光はやや黄ばんだまま静まり返っている。その中にかすかに花の香がまじっているように感じるのは、塀ぎわにある隣家の桜が咲きはじめたのかも知れなかった。花は窓からは見えない。

淡白な風景描写、しかしそれもまたいいアクセントですね。

位置: 3,076
そもそも一家の主が、女女しく死児の 齢 を数えるようなことをするべきではなかった。そんなことでは、子を死なせて心の平衡を見失った妻を大きく抱擁することなど思いもよらないし、女児をないがしろにするようで直江がかわいそうではないかと思った。

この辺の武士の悲哀ですね。色々と面倒くさい時代だ。
自由さがない。やっぱり自在に行きていきたいね。

位置: 3,124
「たかが犬ごときを始末出来ぬとは、何たるざまだ。そなたの小太刀は飾りか」
長い間自分をおさえ、じっと我慢してきた。その我慢をつなぎとめていたものがぷっつりと切れたようだった。いつまで、こんなことがつづくのだ、と半十郎は憤怒の中で思っていた。
杉江は不思議そうな顔で半十郎を見ていた。だが半十郎の叱声がやむと、杉江の顔に急に悲しげな表情がうかんできた。杉江は深い悲しみに打ちひしがれた顔になった。生生しい変化だった。
「申しわけありませぬ、おまえさま」
杉江は低い声で言った。
「以後は気をつけまする」
軽い一礼を残して杉江は背をむけた。とぼとぼと入口の方に行くうしろ姿を見て、半十郎はたちまち強い後悔に襲われた。
──バカめ。
と自分を 罵った。病人をどなりつけるやつがあるものかと思った。いままで辛抱して病人をいたわってきたのが、これで無に帰したと思った。心に傷のある杉江は、いまの怒声をどう聞いたろうとも思った。

なんだか、この半十郎の気持ちが痛いほど分かるんですよね。妻の頭がおかしくなって、夫として気丈でなければ、って感じとか。自分と重なる。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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