『悲しみよ こんにちは』感想 こりゃ鋭い

斉藤由貴さんの歌のタイトルなんだって。サガンのほうしか知らない。

セシルはもうすぐ18歳。プレイボーイ肌の父レイモン、その恋人エルザと、南仏の海辺の別荘でヴァカンスを過ごすことになる。そこで大学生のシリルとの恋も芽生えるが、父のもうひとりのガールフレンドであるアンヌが合流。父が彼女との再婚に走りはじめたことを察知したセシルは、葛藤の末にある計画を思い立つ……。
20世紀仏文学界が生んだ少女小説の聖典、半世紀を経て新訳成る。

フランスのイメージってまさにこれ。
恋のために生きるってね。何時まで経っても大人にならない魅力。あたくしのように30代で老生決め込んでいるタイプとはわけが違います。

恋愛がそれほど大切か、と言われると、難しいですね。
恋愛は、投じるものではなく、眺めるもんでしょう、と個人的には割り切っています。この生き方は、良く言えば情熱的ですが、疲れて刹那的だと思います。

p9
物憂さと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、私はためらう。

一節目からポエティックだもの。

p17
夜遅くまで、私たちは話をした。恋愛について、そこから起きるもめごとについて。父に言わせれば、揉め事など想像の産物でしかなかった。愛における貞節や厳粛さや誓いといった概念を、父は一貫して否定していた。

素晴らしいお父さんだな。一貫している人はみていて気持ち良い。

登場人物がみな、恋愛に振り回される話。この感情との折り合いをつけられなければ、この世は生きづらすぎるでしょうね。ここまでは出来ないと思わせる。アンヌすら、そこの領域には行けなかったわけだ。可哀想といえば可哀想。

しかし、読ませる。文章がキレキレの鋭さ。18歳でここまで書けるってのは本当に鬼才。

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