『ノラや』の百閒先生のようなおじさんになりたい

おじさんのストレートな愛情。
しかも猫に、というのがいい。

p87
ノラは随分可愛い顔をしていたので、写真に撮っておいて貰おうと思った事がある。 いなくなるなら、写真に撮っておけばよかったと思う。 しかし写真なぞ無い方がよかったと思う。

ともすると汚くなるおじさんの愛情ですが、百閒先生のノラへのものは別格。とにかく可愛い。
恋をするおじさんというのはいいね。ギャップなんだろうか。

雑種の猫に対する愛情というのも、なんだか良い。
うちの犬も完全な雑種だった。脚も特徴的で、いつもぎこちなく歩いていた。だが、そこが可愛かったんだ。

いびつなものもそのまま愛する、というのも人間の性だな。

p96
十一時半頃、お静さんから電話が掛かって来た。ノラがいたと云う。 その電話を受けた家内は電話の前で泣き出した。泣きながら、
「ノラ、お前はそんな所にいたのか」と云った。
 傍にいる私の耳に猫の鳴き声が電話を伝って聞こえた。静さんが抱いているのだ と云う。抱いたで電話を掛けているのだろう。お静さんはよく私の所の留守居をし てくれて、家内ぁいない時はしょっちゅうノラを抱いているから、お静さんがそう云 うなら間違いはない。家内 はすぐに連れに行った。
 天喜地、身の置き所のない思いである。探して待った甲斐があった。このうれし さを何にたとえよう。家内が行った後、電話の前に一人で坐って嬉し泣きに泣いた。 涙で両頬が洗った様になった。しかし泣いて構わない。涙が出て構わない。滅多 に経験した事のないうれし涙である。
 あとからノラと仲好しの氷屋の息子が丁度来ていたので、五丁目は近いからすぐに 自転車で見に行って貰った。 氷屋はじきに帰って来て、ノラに違いないと云う。もう大丈夫である。

しかし、これが人違いならぬ猫違いなんです。そしてがっかりくる。読者も一緒にがっかりする。

p132
品川の某氏からの電話でノラの事を尋ねてくれて、自分の家に三毛の雄の生後二ヶ 月になる子猫がいる。それをノラの代りにやろうかと云う。好意を謝してことわった。 どんないい猫でもノラの代りにはならない。ノラはノラでなければいけない。

そう。どんなに高貴だろうとノラの代わりにはならない。それをそのまま愛する。これもまた真の愛情。親としてグッとくる。

p145
ノラが帰って来なくなってから、今日で百七十五日目である。もう五日すれば百八 十日、丸半年になる。
ノラが行ってから庭の花が咲き盛り、私が泣いている最中に爛漫の春になり、初夏 になり、土用になり、毎日ノラを待っている内に暑さの峠を越して、もう秋風が立って来た。
 今年の春の彼岸は三月二十四日に明けた。それから三日目の二十七日の昼過ぎに、 ノラは抱かれている家内の手から降りて、木賊の繁みの中を抜けて、どこかへ行ってしまった。秋の彼岸の入りは九月二十日で、明後日である。だからノラの百八十日目 がめぐって来るのは秋の彼岸の中日に当たる。

子供が急にいなくなったりするとこういう気持ちになるんだろうな。想像するのも怖いけど。いつ帰ってくるか、いつ帰ってくるか。そうやって待つうちに日にちを数えちゃうんだろうな。

切ない。けど先生可愛い。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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