西村賢太著『疒の歌』感想 タイトルからして良い

西村賢太の「横浜時代」のやつです。造園業で働き、やっぱりモメてクビになるやつ。

中卒で家出しその日暮らしをしていた北町貫多は、十九歳にして心機一転を図ろうとした。横浜で新しい仕事を得、片恋する相手も見つけ、人生の軌道修正も図れるかと思いきや、ほどなく激しい失意が訪れる。そのとき彼の心の援軍となったのは、或る私小説家の本だった―。暗い青春の軌道を描く長篇私小説。

田中英光との出会いが素晴らしく生々しい描写で、共感を集めていますが、その他の内容自体はいつもの北町貫多そのまま。

位置: 1,311
悪いことに、貫多はその種の小説──小狡いお利巧馬鹿の人種が無駄に好みがちの、えらそうに気取った純文学作品と云うのが、心の底から嫌いであった。

痛快。ま、純文学ってそう言われちゃうよね。

位置: 1,316
中では、坂口安吾のみは小学六年時に読んでいた「不連続殺人事件」の好印象から、その探偵小説以外の文芸作品の方もいくつか通読してはいたが、正直、「白痴」だの「堕落論」なぞは古臭くて(時代背景のことではない)全く意味が分からず、こうした類を解ったふりして自己満足に浸るのが、所詮は純文学なるものの存在理由なのだろうとの再認識を得て、どうにも 慊 ぬ思いになったものだ。が、一方で「風と光と二十の私と」や「二十七歳」「古都」「居酒屋の聖人」と云った作は頗る楽しめたし、大いに魅かれるところがあった。

読まないで言ってるんじゃない、読んでいて嫌いなんだ、ってことですね。大切なこと。

位置: 2,052
「あんたらに云っても分からねえでしょうけど、本物の江戸っ子と云うのは、見た目はとかく野暮ったく出来てるもんなんですよ。上辺を飾ることこそ、野暮の骨頂と心得ているからね。そのあたりのところを見抜けねえんだから、どうにも田舎者は度し難し、ですね」

江戸川区出身が江戸っ子を気取るなんざ、それこそ野暮だとあたくしは思いますね。神田や上野で3代続いてから言え、ってね。

位置: 2,086
「違いますね。ぼく、そう簡単に酒に飲まれる程、ヤワな育ちかたはしてきてません。なぜって云やあ、はばかりながらこちとらは、十五のときから東京下町、根岸の里は鶯谷で、夜な夜な一升酒を繰り返してきたクチなんだから」

落語『茶の湯』にもありますが、根岸は下町ではないからね。閑静なところ。
下町の定義について、賢太とは大きく認識が違います。

位置: 2,116
だが貫多は、佐由加のこの敏な反応がえらく満足であった。この、明らかにこちらを意識しきった態度に、彼は苦心のアピールの充分な手応えを感じ、
(うむ。濡れたな……)
との確信をも抱いて、舌舐めずりをする思いだった。

高校生のときの会話を思い出しましたね。「濡れたな」ってね。懐かしいや。

甚だ、タイトルからして面白い小説でしたね。

The following two tabs change content below.
都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする