『先生と私』感想② 同じジャリでもここまで違うか…… #佐藤優

中学生の頃の自分がいかに洟垂れで世間知らずなジャリであったかを痛感せざるを得ませんな。

前回の続き。前回、まだ180ページしか至っていないことに驚愕。どんだけ序盤から金言に富んだ本なのでしょうか。いやはや、すごい本。

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要は、 28 メガヘルツだとテレビ受像器の内部で使っている電波との相性がよくないので、僕が無線を使うと、団地の隣近所のテレビ画像が乱れるということだ。それだから、 28 メガヘルツのトランシーバーは値段が安いということだ。父は、「アマチュア無線はあくまでも趣味なんだから、趣味で他人の生活に迷惑をかけてはいけない」と言った。

「趣味で他人の生活に迷惑をかけてはいけない」ね。間違いないですよ。ま、同い年くらいのあたくしは他人に迷惑をかけていないと思いこんでかけてましたがね。ほんと、視野狭窄というのは怖い。

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父と母には、奇妙なこだわりがあり、2~3カ月に1回、テーブルクロスがかかったきちんとしたレストランで僕と妹を連れて食事をする。団地住まいで、経済的に余裕がなかったにもかかわらず、そうするのだ。僕が小学校2~3年生の頃だったと思う。母に「レストランで無駄なお金を使うよりも、それを僕の小遣いにして、プラモデルを買いたい」と言ったらきつく叱られた。 「パパがママと結婚するときに、ママに、将来、子供ができたら、毎月1回、テーブルクロスを引いたきちんとしたレストランに家族で行く、1年に1回は家族旅行をすると約束したの。家族旅行の方はきちんと約束を守っているけれど、レストランの方は月に1回の約束を守ることができないから、2~3カ月に1回になっているの。将来、優君と純子ちゃんがパパやママくらいの歳になったとき、パパやママはもう死んでこの世にいないかもしれない。そういうときに、昔、一緒に家族4人で旅行をしたり、レストランに行ったことがとてもいい思い出になる。お父さんやお母さんの子供の頃は、戦争で、旅行やレストランどころじゃなかった。生活で一杯で、家族での楽しい思い出があまりない。お金で物を買うこと以外の楽しさを優君も理解できるようにならないとダメよ」

平和な時代に生きる、あたくしらの無意識の贅沢を諭すようなお言葉。そりゃそうなんだけども、だ。ご尤もだが小学生だか中学生に届くかな?その言葉。でも優さんはしっかり覚えてるんだもんな。届いてたってことか。すげぇや。
あたくしもそのような言葉を貰っていたのかしら。まるで覚えていないから刺さっていないんだろうけど。

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「高校入試の問題をいくつもこなしても、学力の伸びには限界があります。よい文章をたくさん読んで、要約することです。そのとき、頭の中で『だいたいこういうふうに要約できる』と考えるだけでは、要約の力はつきません。必ず紙に書くことです」  そう言って、先生は僕たちに課題を与えた。 「それでは、『首かざり』の内容を原稿用紙(400字)1枚にまとめ、最後に感想を記しなさい」

塾の国語の先生ね。こういう授業、受けてみたかった。文学の咀嚼の仕方、または拡げ方、そういうのを味わえたろうなぁ。

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僕は、「日本にも自然主義は影響を与えたのですか」と尋ねた。先生は、「大きな影響を与えた」と言って、島崎藤村の『破戒』について述べた。それに続いて、先生は、「『破戒』は被差別部落問題という深刻な日本の社会問題を扱ったが、その後、田山花袋 の『蒲団』という中年作家と女学生の恋愛関係を扱った小説が自然主義の代表作ととられるようになった。この順番が逆だったならば、日本の自然主義文学はもっと広がりをもったのに残念だった」と言って、今度はホワイトボードに、 私小説 と書いた。 「日本の自然主義は、小説家が自分が経験したことを題材にして、醜い部分を含めて、自分の内面を率直に書くことを特徴とする私小説という分野に発展していった。ただし、ヨーロッパの自然主義で描かれる〝私〟が、社会の中での〝私〟という公的性格を帯びているのに対し、私小説の〝私〟は社会から切断されているところに特徴がある」  こう説明した後、先生は、「それでは夏目漱石の『こころ』を読み進めましょう。『こころ』は、キリスト教的な罪の問題を初めて題材として取り上げた小説です」

「こころ」はキリスト教的なのかしら。それはそれでどういう意図なのか聞いてみたい。しかし、文学を点と点で説明してその間に線を引いてみせるという授業。まるきり面白い。羨ましすぎて泣けてくる。こういう授業を受けたかったなぁ。

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と聞かれたが、僕は「いまは塾の勉強で手一杯で、その余裕がない」と答えた。  山田義塾で勉強している生徒の中には、「実は塾に来るのが苦痛だ」と言っている連中も多かったが、僕は塾が楽しくて仕方がなかった。英語、数学、国語のいずれも先生たちは抜群に教え方がうまい。中学校でだらだらと5、6回かけて教える内容を、それこそ 30 分くらいに圧縮して教えてくれる。そして、理解することと、理解と関係なく暗記することを最初に仕分けてくれる。こういう勉強法は僕ととても相性がよかった

塾ってそういうところでした。あたくしも昔、中学受験するときに塾に通いました。大学受験のときも塾に通いました。先生はこんな感じだったなぁ。学校の最大公約数的な授業はつまらんかった。それすら理解できなかったという側面はあるけど、塾の授業は確かに知的好奇心が満たされる感じがありました。

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ラジオ・ネーデルランド、北京放送、KBS(韓国放送公社)国際放送、平壌放送、モスクワ放送などが、この短波受信機では、普通のラジオの国内放送のようによく聞こえた。僕は、受信状況を書いた手紙を送り、これらの放送局からリスナーズカードをもらった。そこで、モスクワ放送とちょっとした縁ができるのである。それが、高校1年生の夏休みにソ連と東欧を旅行する伏線になる。

高校1年生でソ連東欧旅行ですか。無為に過ごしていた自分が恥ずかしい。恥ずかしすぎてもう書けない。また稿を改めます。