『それから』感想① 考え過ぎは良くない #それから

とにかくうつ病まっしぐらのような考え過ぎの作品。心の平安を保ちながら読まなければ、逆にヤラれてしまうかもしれない。

明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1909(明治42)年]。「三四郎」の後に書かれ、次の「門」とあわせて三部作とされる。漱石自身の予告によれば「「三四郎」には大学生の事を描(かい)たが、此(この)小説にはそれから先の事を書いたからそれからである」。主人公の代助は三十歳を過ぎても親からの仕送りを受けて優雅に暮らしている知識人「高等遊民」である。かつて親友に譲った三千代と再会して、人妻である彼女との愛を貫く決心をする。愛を代償に社会から葬られる夫婦はどうなるのか。

『三四郎』が大学生なら、『それから』は高学歴ニート。しかもボンボンで親と兄の脛をかじって生きている。当人も家族もそれでいいとしている。一見なにも起こりようのない、落ち着いた生き方である。

親と兄の事業も、色々ありそうながらも何とかなっているし、当人(代助)も本を読みながら寝たり起きたり酒を飲んだり。まったく良い身分ですな。

位置: 174
代助はこんな場合になると 何時 でも此青年を気の毒に思ふ。代助から見ると、此青年の 頭 は、 牛 の 脳味噌 で一杯詰つてゐるとしか考へられないのである。 話 をすると、平民の 通る大通りを半町位しか 付いて 来 ない。たまに横町へでも 曲ると、すぐ 迷児 になつて仕舞ふ。論理の地盤を 竪 に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。 彼 の神経系に至つては猶更粗末である。恰も 荒縄 で組み立てられたるかの感が起る。代助は此青年の生活状態を観察して、彼は必竟何の 為 に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある。それでゐて彼は平気にのらくらしてゐる。しかも 此 のらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に 振舞 たがる。其上頑強一点張りの肉体を 笠 に 着 て、却つて主人の神経的な局所へ肉薄して 来る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた 報 に受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に 為れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。 門野 にはそんな事は丸で分らない。

この門野という人物が憎めなくって良いんだ。決して良いやつではないが、どこか憎めない。その「どこか」についての記述のリアリティが、漱石が他の追随を赦さないところよね。また代助の自負が青臭くって良いんだ。

自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた 報 に受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に 為れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。

なんて、言えないよ、普通。何のことだか分からんような、よく分かるような。衒学的のようで、真に迫る阿呆くささ。これがいいんだ。

位置: 348
「好いだらう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな 真似 が 出来る 間 はまだ気楽なんだよ。世の中 へ 出ると、 中々 それ 所 ぢやない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云つた。代助には其調子よりも其返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考へてゐる。 其所 でこんな答をした。 「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛がある丈ぢやないか」  平岡は酔つた 眼 を心持大きくした。 「大分 考へが 違 つて 来 た様だね。――けれども其苦痛が 後 から 薬 になるんだつて、もとは君の持説ぢやなかつたか」 「そりや不見識な青年が、流俗の 諺 に降参して、好加減な事を云つてゐた時分の持説だ。もう、とつくに撤回しちまつた」 「だつて、君だつて、もう大抵世の中 へ 出 なくつちやなるまい。其時それぢや困るよ」 「世の中 へは 昔 から 出 てゐるさ。ことに君と 分れてから、大変世の中が 広くなつた様な気がする。たゞ君の 出 てゐる 世の中 とは種類が 違 ふ丈だ」 「そんな事を云つて威張つたつて、今に降参する丈だよ」 「無論食ふに困る様になれば、 何時 でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を 嘗めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」

まったくニートで非生産的なことを、恥じない。羨ましい神経と環境であります。あたくしなんざ、やっぱり駄目ですね。半月以上仕事しないと、どうも、社会に適合てきていないような気持ちになって。

働くことで自己をやっと肯定するというような、旧世紀型の価値観がまだ、あたくしの中にある。それではいかんのです。いかんけれども、生きやすくはあるか。

位置: 374
つまり 楽 といふ一種の美くしい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞はなくつちやならない。僕から云はせると、是程憐れな無経験はないと思ふ。 麵麭 に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。 麵麭 を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちやんだと考へてるらしいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者の積りだ」  平岡は 巻莨 の灰を、 皿 の 上 にはたきながら、 沈んだ 暗い調子で、 「うん、 何時迄もさう云ふ世界に住んでゐられゝば結構さ」と云つた。其 重い言葉の 足 が、 富 に対する一種の呪咀を 引き 摺 つてゐる様に 聴 えた。

「パンを離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない」なんてね。クソ生意気なボンボンです。ただ、こいつが憎めないから不思議。

読めば読むほど味がでるこの文学。またながーく紹介していきたいですね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする