あすかは夏紀の前で泣く~『響けユーフォニアム』より

あすか先輩はやっぱり凄い。

p233
「先輩がずっと勉強してるのは、それが理由なんですか?」
息苦しくなるような、参考書ばかりで埋め尽くされた部屋。それを見回し、久美子 は静かに問いかけた。あすかは曖昧に微笑むと、そうかもなあ、と小さくつぶやいた。
「好きなことを続けるためには、勉強するしかなかったから」
その言葉を聞いて、久美子は一瞬にして顔を赤らめた。なんというか、自分が恥ず かしくなったのだ。紅潮する類を隠すように、久美子は抱えた膝小僧の上に顔を埋めた。
流されて部活に入った自分とは違って、あすかは自分の意思でこの場所を選んだの だ。吹奏楽部に入り、ユーフォニアムを吹く。彼女は、それを自分で選んだ。

実際、こういう制限を親から設けられている人、クラスにいましたね。大変そうだったなぁ。あたくしはわりと自由にやらせてもらいました。成績も下だったけどね。親には感謝しないといけない。

p279
「卒業したら、お前とこうやって会う機会も減るんかもな」
そう、彼は言った。その横顔を眺めながら、久美子は仕方ないよと小さくつぶやく。
「だって私たち、ただの友達だもんね」
その言葉に、秀一は足を止めた。後ろから追い越していく車のライトが、一瞬だけ 彼をまばゆく照らし出す。秀一は目を細め、何か言いたげな視線を久美子に向けた。 制服から無防備にさらされている喉仏が、動揺を隠すようにゴクリと上下する。足元 に散らばった影が、震える彼の身体に必死になって絡みついていた。静寂に紛れ、川の音がいっそう強く久美子の鼓膜を揺する。秀一は一度口を開き、けれどその唇から言葉が発せられることはなかった。久美子は辛抱強く、彼の言葉を待っていた。彼の伝えようとしている言葉を、心底待ち望んでいた。なのに、目の前の男子はただいつ ものようにへらりと笑った。まるで何かを隠すみたいに。
「そうやな、俺たち友達やもんな」
そう、彼は言った。その言葉に、久美子は何も答えなかった。

青春の綺麗な1ページ。素敵ね。何も言わない秀一の可愛らしさよ。言えなかったんだな。そして久美子は待ってたんだな。喉が鳴るほどに。可愛い。

p281
「ごめん、遅れた!」
小笠原の声を遮るようにして、音楽室の後方から待ちわびた声が響いた。前に立つ 部長は目を見開き、現れた人物を声もなく凝視している。その喉が、緊張したように わずかに震える。隣の夏紀が、息を呑む気配がした。久美子はおそるおそる、現れた 人物のほうを振り返った。香織がかすれた声でつぶやく。
「あすか、」
楽器ケースを提げたあすかが、そこには立っていた。彼女の類はうっすらと腫れて おり、その身に何が起こったのかを部員たちは自然と察した。ガタリ。香織の太もも が椅子を弾く。彼女は立ち上がると、フラフラとあすかのほうへと近づいていった。 ギシリ、ギシリ。香織は一歩ずつ、フローリングを踏み締める。その震える指先が、 あすかの紺の制服を確かにつかんだ。
「待たせてごめん」
そう、あすかは言った。香織は喉を詰まらせ、ただ無言で首を横に振った。
「いいの、来てくれたから」
そう言って、香織は肩に顔を埋めるようにしてあすかへと抱きついた。あすかが驚 いたように、その身体を受け止める。前に立っていた小笠原が、泣きながら笑みを浮 かべる。
「ほんま、待たせすぎ」

良い登場シーンだ。香織がいい「女性」すぎる。あすか男前。この三年生トリオは本当にいい味だしてる。他の3年生とか全然登場しないのが当然なくらいに。

p284
「夏紀……」
あすかが噛み締めるようにその名をつぶやく。そこから少し離れたところで、卓也 が眼鏡を外して自身の目元を乱暴に拭った。梨子が、葉月が、緑輝が。低音パートの 部員みんなが、あすかの帰りを祝福している。夏紀はゆっくりと足を踏み出すと、あ すかと真正面から向かい合った。その唇が、緩やかに弧にゆがむ。
「先輩、おかえりなさい」
その言葉に、あすかは動揺したように瞳を揺らした。その目から、ひと筋の感情が こぼれ落ちる。それはあすかの頬を優しくなでると、彼女の紺色の制服に小さく黒色 の染みを作った。
あすかは言った。
「ただいま!」

そして、ここで泣かすんですよ。武田綾乃先生、ニクいね。あすかはここで、泣くんです。香織や晴香の前ではなく、夏紀の前で泣く。やはりあすかは朴念仁ではなかった。夏紀には特別な思いがあったのです。いいなぁ。泣かせるところですよ。

p342
麗奈の奏でるまっすぐな音の粒が、ホール内に染み渡る。 彼女の生み出す音はいつだって自信にあふれていて、キラキラと輝いている。芯のあ るその音色は伸びやかにホール内を駆け巡り、熱を帯びた空気へと溶け込んでいく。 しびれるような高音が鳴り響き、ほかのトランペットたちが演奏に加わる。ゆったり とした流れを維持したまま、音楽はじわりじわりと盛り上がりを見せ始める。一丸と なった音の群れがひとつの方向へ向かって音楽を作り上げていく。金管の華やかなメ ロディーが壮大に響き渡り、その傍らで木管が激しく連符を駆け上がる。盛り上がり を高めるように、シンバルが高らかに打ち鳴らされた。

ソロの描写ね。やっぱり事実が中心。抽象的な表現は極力抑えてある。このあたり、とても素敵。

武田先生、素晴らしい筆です。

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