読んでいていい気持ちなんだ。
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落語の歴史、寄席の歴史、東京と上方のちがい、講談、漫談とのちがい、落語は文学か、女の落語家は何故いないか等々、当代一流の落語家にして文化人が、落語に関するすべてをやさしく、しかも奥行き深い蘊蓄をかたむけて語る
初心者も落語通も納得してヒザをたたき、落語を聞く愉しみが倍増。平成27年惜しくも逝去した人間国宝・桂米朝による名著。
米朝師匠の落語がよく眠れる、というのは嶽本野ばら先生の話でしたが、この本もそんな気持ちよさがあります。入門書だけあって分かりやすく、それでいて気品に富む。まさに米朝師匠の落語そのもの。素晴らしい。
p71
サゲ………というものは一種のぶちこわし作業なのです。さまざまのテクニックをつかって本 当らしくしゃべり、サゲでどんでん返しをくらわせて「これは嘘ですよ、おどけ話ですよ」と いう形をとるのが落語なのです。
落語は、物語の世界に遊ばせ、笑わせたりハラハラさせたりしていたお客を、サゲによって 一瞬に現実にひきもどす。そしてだました方が快哉を叫べば、だまされた方も「してやられた な、あっはっは」…と笑っておしまいになる、いわば知的なお遊びです。
弟子の枝雀師匠はサゲを「緊張の緩和」とおっしゃっていましたが、やはりそれは師匠譲りのものだったということですね。物語の世界で遊ばせ、返す。一人で千と千尋をやるようなもんだ。まさに芸ですね。
p98
はなしの進展にひきこまれて、ハラハラしながら聞いていると、一つのどんでん 返しにあう。「ナァンダ」と思ってそこで緊張がゆるむと、笑いがおこります。また、一つの 疑問がつづいている、あれは何なのかという緊張がおこる、それがサゲの言葉ではっきりする。 「アッソウカ」と緩和の状態がおこって笑いがうまれる。
それからどうなるのか」ではなく、「これは例のおどけ話だったんだな」ということでかた がつくわけです。
だから落語の物語に意味などないのですね。おどけ話なんだから。それが米朝師匠の教え。あまり高尚に考えすぎてもいけない、ということなんでしょう。
p137
文人趣味でひねった名前をつける気風が江戸落語にありました。上方にはこの 種の名前はほとんどありません。 上方のはなし家に文人趣味がまるで無かったというのではありませんが、江戸にくらべて少 なかったと言えます。
座敷芸と大道芸の差でしょうか。
江戸落語は大衆芸能とは言いながらも、はやりハイコンテクスト、教養主義的なところが発祥としてはある。話もとっつきにくいところも、ある。
だからこそ噛み砕く必要がある。我々はそこに意識的である必要があります。
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