『帰ってきたヒトラー』は下巻も面白い①

上巻だけで読むのをやめられた人はいるんでしょうか。

総統の行く末が楽しみで思わず積んでいる本を飛ばして読了。いやぁ、良かった。

位置: 199
「私が言っているのは、あなたは論争もうまいし、打てば響くような勘の良さももちあわせているということよ。それだけすばらしい能力があるのだから、あなたにほどなく取材を受けてもらおうと、私とゼンゼンブリンクは考えているの。〈ビルト〉紙の取材よ!」
私はしばし考えてから言った。「それはやめておこう。そのせいでおそらく、これからもっと頻繁に〈ビルト〉紙の一面をわれわれが飾ることになる。取材を受けてやるのはそれからだ。それも、われわれが望んだときにだ。条件を出すのは、われわれのほうでなくては」

あくまで交渉上手、駆け引き上手。
そこがこの男の恐ろしいところですよ。人の心理というのを瞬時に見破り、立場を明確にすることができる。

位置: 565
たとえば、経済についての報道だ。専門家と呼ばれるだれかが経済政策について「こうすべきだ」と発言をすると、その翌日には別の、もっと専門的な〈専門家〉が、昨日の〈専門家〉の主張を大うそだとこきおろし、逆の政策こそが最善だと主張する。これもまた、いかにもユダヤのやり口だ。私が不在だった数十年のうちに報道の世界からユダヤ人は激減したが、ユダヤ的な原理原則は今もなお残っている。その原理原則とは煎じつめれば、「できるかぎり大きな混乱を社会に広める」ことだ。なぜなら、混乱におちいった人々は真実を探し求めて、新聞を買ったりテレビの報道を見たりせずにいられなくなるからだ。こうして以前はだれにも見向きもされていなかった経済欄の記事が、いわば経済のテロリズムのせいで一転、多くの人に読まれるようになる。だが、記事を読んでも人々は安心するどころか、さらなる不安におののくだけだ。こうして純朴な人々は、まるでにわか金融専門家のように株や 金 や債権や不動産などの不労所得に群がり、賭けごと同然のもうけ話に、苦労して貯めた蓄えを掛け金として差し出してしまう。なんと馬鹿げた話だろう。そもそも一般市民がまじめに働いて税金を納めてきたならば、政府はお返しに、国民のカネの心配を引き受けてやるべきではないか?

ヒトラーが本当にそういう全体主義を「正しく」行おうとしていたかどうかは怪しいとは思いますけどね。鷹の爪団のよう。「そもそも一般市民がまじめに働いて税金を納めてきたならば、政府はお返しに、国民のカネの心配を引き受けてやるべきではないか?」というのはまっとう過ぎて逆に怖い。その真っ当すら言わなくなったのは現在のわが国でもありますがね。

位置: 657
視界のすみで、ゼンゼンブリンクが何か言おうとしたのが見えた。だが、おそらく彼の口からまともな発言は出てこない。この手の人物がいつ何のためにしゃべりだすかは、余人の理解を超えている。ただ言えるのは、彼らが口を開いて何かをしゃべる理由はたいていが、「これまでに自分が一度も発言していないことに気づいたから」か「これ以上黙っていたら、重要でない人物だと思われそうで心配だから」の二つにひとつだ。そんな事態は何としても阻止しなくてはいけない。

どこまでも無能な評価のゼンゼンブリンク。ドイツにもこういう男っているってことですよね。富井副部長的な。ちょっと安心。

位置: 1,493
次の朝、私は早くに社に向かった。この一日を満喫しようと心に決めていたのだ。圧倒的な勝利が行われたあと、静まり返った場所に足を踏み入れるのは何かすばらしい、特別な心地がするものだ。あわただしい日々の活動が始まる前の事務所。興奮した観衆がひとりもいない空っぽのスタジアム。その中を吹きすぎる勝者の風。あるいは、征服されたパリの午前五時—-。

午前5時の街を歩くというのは確かに特別な心地がします。実際にヒトラーは征服されたパリの午前5時を散歩したらしいし。

こういう情緒を理解する男だったというのはヒトラーへの良いアプローチのような気がしますね。悪魔のような所業の男だが、悪魔化してはならない。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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