松本清張著『或る「小倉日記」伝』感想② 長編よりはるかに面白い

最後まで濃密な文章。圧巻の作品です。

位置: 389
訪ねていってみると、そこは 遊廓 だった。
東某という 妓楼 の亭主は耕作の身体を意地悪く見ただけで、鴎外に関係したことは何も知ってはいなかった。 「そんなことを調べて何になります?」
と、 傍らのふじに言いすてただけだった。
そんなことを調べて何になる――彼がふと吐いたこの言葉は耕作の心の深部に突き刺さって残った。実際、こんなことに意義があるのだろうか。空しいことに自分だけが気負いたっているのではないか、と疑われてきた。すると、不意に自分の努力が全くつまらなく見え、急につきおとされるような気持になった。

当然の疑問ではあるんですかね。何か意味がないと動けない人というのは憐れですよ。いいじゃないですか。調べたくって調べてるんだから。大きく人の迷惑になるわけじゃないし。

悩むだけ無駄です。悩みは糧ですが。糧にならない悩みもある。これはその手のやつ。

位置: 441
てる子は耕作の家にも、たびたび遊びにくるようになったのだ。広寿山に行って以来、彼とてる子とはそれほど打ちとけた間になっていた。
が、耕作の感情を、てる子が知っていたかどうかわからない。彼女の天性のコケットリイは白川病院に出入りするどの男性とも親しくしていた。彼女が耕作の家に遊びにいくようになったのも、いわば気まぐれで、深い子細があったのではなかった。
しかし、ふじも耕作も、てる子の来訪を一つの意味にとろうとしていた。彼の家に、てる子のような若い美人が遊びにくることはほとんど破天荒なことだった。ふじはてる子がくると、まるでお姫さまを迎えるように歓待した。

コケットリーは悪ですな。罪ではないが悪です。いや、美徳でもあるんだけれども。
要らぬ期待を持たせるという点で、本人に罪はないかもしれないが悪い。とても悪い。

位置: 606
耕作がこうして躍起となったのは、山田てる子が縁談を断わってからなおさらであった。てる子はふじに、
「いやね 小 母さん、本気でそんなことを考えていたの」
と言って、声を出して笑った。彼女は後に入院患者と恋愛が生じて結婚した。このことから母子の愛情はいよいよお互いによりそい、二人だけの体温であたためあうというようになった。

ふじの心中、耕作の心中たるや。
ちょっと筆舌に尽くしがたい。そこをこんな風にさらりと書く。もったいないというか、潔いというか。そこが逆に行間をつくり、感情を移入させる。いい表現だな。

位置: 652
昭和二十六年二月、東京で 外の「小倉日記」が発見されたのは周知のとおりである。 鴎外の子息が、疎開先から持ち帰った 反古 ばかりはいった 箪笥 を整理していると、この日記が出てきたのだ。田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福かわからない。

幸福だった、と信じたい。それにしてもすごい終わり方だ。
柳家だな。引き算。すごい。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする