『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』はツッコミづらい 3

ボケとツッコミというスタイルにとらわれることはない。ただ、その方が評価はされやすいんだなー。

位置: 798
まったく認められない。その繰り返しでした。
僕らは〇二年に漫才協会に入りました。それからというもの昼間は寄席で高齢者を相手にし、夜は小さなライブハウスで若い人を相手にしていました。そのため、お客さんの求めるものにギャップがあり過ぎて、テンポもネタも一向に定まりませんでした。

位置: 832
一つは、僕らはどうもボソッと言ったときの「小ボケ」がウケるらしい、という点です。たとえば、僕が「今日は足元が臭い中……」とボケて、土屋が「嗅いじゃってるよ。悪い中、ね」みたいな入りをするとポンとウケる。もともと、そういうしょうもないネタが好きだったというのもあります。  ところが、ネタに入るとぜんぜんウケない。だったら、この小ボケをひたすら磨いていけばいいのではないかと考えたんです。

ナイツ不遇の時代。
小ボケが得意というのは、塙さんの「任」なんでしょうね。柄と合う、とでもいいますか。やはり任と違うものはやりづらいし続かない。

位置: 850
僕らがこれまでよく嚙んでいたのは、要は、借り物だったからなんでしょうね。オリジナルなスタイルではないのにオリジナルな振りをし、そう思ってもないのにそう思っている振りをしてしゃべっていた。だから、いつまで経っても言葉が体に 馴染まず、つっかえたり、上滑りしていた。
落語ではネタが体に染み込み、登場人物が勝手にしゃべり出すような感覚になることを「腹に入る」と表現しますが、要は、ネタが腹に入っていなかったのです。

任に合わないものは腹に入りづらいですよ、やっぱり。
権助の噺はしづらいもの、あたくしも。権助的要素が任にないんでしょうな。

位置: 859
最初の頃は、イチローや松井秀喜のことをネタにしていました。彼らがいかにすごいかをただひたすら語り続けるのです。四分間くらい、ボケは一切なしです。その間、土屋は一言も発しません。それはそれでおもしろい光景だったと思います。
終盤、しびれを切らした土屋が「野球の話はもういいよ」と軽く切れます。そこで僕が「じゃあ、ミスターチルドレンの話でもしましょうか。一茂と三奈は……」と言ったところで、土屋が「それはミスター(長嶋茂雄) のチルドレンだろ」とツッコむ。ここで、どっかんとウケました。

あの漫才、面白かったなー。
「ためてためて……」ってときに「いつ塙さんボケるのかな」って待つ時間。あれも楽しい。あそこまでいければもうお客さんメロメロですよね。そういう芸人になりたい。

位置: 882
その頃、一ヵ月に一回、事務所の「ネタ見せ」がありました。事務所の人に新ネタを披露するのです。そこでOKをもらえなかったら、ライブにかけられないのです。
僕は自信満々でヤホー漫才を見せました。どうだ、と。ところが、あっさりダメ出しされました。「小ボケばっかりだね」と。
でも、僕らは自信があったので、初めて事務所の方針に逆らってライブでそのネタをかけたんです。そうしたら、会場がまさにうねったのです。言葉が笑いのレールに乗るとは、こういうことなのかと思いました。もう何を言ってもウケる状態です。
その様子を見て、事務所の人の態度もコロッと変わりました。「あのネタ、いいね」と。世の中、そんなものです。
自分がこれだと信じられるネタ。それが最強なのです。

人を評価する側の人間もまた、人間なんです。
だから人の評価なんてものは気にしすぎてもしょうがない。そこをうじうじ悔やんでも仕方がない。長生きしていて本当に良かったということの一つに「人の評価に拘泥しなくなった」というのがあります。本当に有意義です。

位置: 1,056
和牛の漫才は、コント漫才です。前半、巧みに伏線を張りつつ話を進めていき、最後で一気に回収し爆笑を誘う。その構成力はカタルシスを覚えるほどですが、うねりは起きにくい。入りがロー過ぎるのです。
僕らもM-1のときはローテンションで入って、そこから徐々にハイテンションに上げていくパターンだったのですが、四分だと、お客さんがその急激な変化についてこられませんでした。
霜降り明星のようにハイテンションで入り、ハイテンションのまま駆け抜けたほうが、戦術的には確かです。

でも、あたくしは和牛やナイツの漫才が好きだ。
ローから入って、グワーッとくる。そのカタルシスに腹を抱えて笑いたい。

位置: 1,100
ただ、柴田さんの口調は、どこか「べらんめえ調」を連想させますよね。いわゆる江戸言葉です。「てやんでぇ」「こんちくしょー」みたいな。威勢がよくて、歯切れがいい。  柴田さんが、どうやってあの言葉を身につけたのかはわからないのですが、江戸弁を繰れるなら、関西弁にも対抗できるかもしれません。

なるほど、これは落語をする人間としては嬉しい言葉。
べらんめぇなら関西弁に負けない。嬉しいね。

位置: 1,261
関西には漫才とはこういうものだという伝統と文化がしっかり根付いています。
なので、澤部のようにボケ続けるツッコミとか、僕らのように相方を一切見ないボケとかは、考えられないと思います。
そうした戦術は大阪の漫才師にとって、相撲で言えば「変化」であり、もっと言えば「禁じ手」という感覚だと思います。
相撲でいう「ひとまずぶつかれ」同様、関西には、漫才たるもの「ひとまず掛け合って、テンポよくしゃべれ」という大原則がある。
それゆえ、うまいなとは思うものの、発想でぶっ飛んでるなと思わせるような規格外のコンビは大阪からはあまり出てきません。

これ、ちょっとした東の人間の矜持をみせてますよね。
M-1で勝つには規格外になって場をかっさらうしかない。サンドイッチマンのように。

位置: 1,313
僕たちになくて、サンドウィッチマンにあるものがあります。それが、やはり強さなんですよね。
伊達(みきお) さんが「うるせぇな!」とか言うと、ものすごくお客さんのツボにはまるんです。ナイツにはないパワーがある。アンタッチャブル同様、ストレートが速いんです。
あれだけボケ数が豊富で、それを際立たせる強さがあれば、コント漫才でも、関東言葉でもM-1で勝負できます。
M-1歴代王者のツッコミを見渡すと、例外なくストレートが速いです。言葉巧みなツッコミも持っていますが、それも速いストレートを持っているからこそ効果的なのです。

ヤクルトの石川のような投球術はM-1では評価されずらい。まさにそうなんでしょう。でもあの淡々と投げる、とつとつと語る、そういう手口が好きな人もいます。あたくしのように。

M-1だけが芸人の生きる道じゃない、という言い訳ですね。

The following two tabs change content below.
都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする