『羆嵐』感想 パンデミック中に読む面白さ 1

積ん読本の一番上にあっただけなんですが、まぁ、なんだか偶然にして面白い食い合わせだなぁと思いましてね。

北海道天塩山麓の開拓村を突然恐怖の渦に巻込んだ一頭の羆の出現! 日本獣害史上最大の惨事は大正4年12月に起った。冬眠の時期を逸した羆が、わずか2日間に6人の男女を殺害したのである。鮮血に染まる雪、羆を潜める闇、人骨を齧る不気味な音……。自然の猛威の前で、なす術のない人間たちと、ただ一人沈着に羆と対決する老練な猟師の姿を浮彫りにする、ドキュメンタリー長編。

情報量というか取材量が圧倒的なんだろうなぁと思わせる文章。すごい。
それでいてとっ散らかってはいない。ドキュメンタリーなんだろうか。解説にはドキュメンタリーとあるけど、大正4年の出来事のドキュメンタリーを1982年に刊行って出来るのか?

位置: 525
無力感が、かれらを襲った。茶色いものは、顔も岩石のように大きく、胴体も脚も驚くほど太く逞しかった。剛毛は風をはらんだように逆立ち、それが地響きとともに傾斜を降下してきた。その力感にみちた体に比して、かれらは自分たちの肉体が余りにも貧弱であることを強く意識した。

文章に難しいところはない。

位置: 673
闇は濃く、かれらは羆の所在がつかめなかった。が、野獣の体臭は夜気の中に濃く漂い、その呼吸で空気が激しく揺れ動いているように感じられた。

むしろ長くない文章が独特のリズムを生んでいるような気がします。

位置: 785
突然、区長たちの肩がはずむように動いた。音がした。それは、なにか固い物を強い力でへし折るようなひどく乾いた音であった。それにつづいて、物をこまかく砕く音がきこえてきた。
区長たちの顔が、ゆがんだ。音は、つづいている。それは、あきらかに羆が骨をかみくだいている音であった。

怖いんだ、ヒグマが。
ただひたすらに。しかし、多くの災害ドキュメントのように、本当に恐ろしいのは人間だったりします。本作も。

位置: 1,030
三毛別では、男の半数以上が海岸線の漁村に 出稼ぎに行っていて、老人、女、子供しかいない家が多かった。かれらは不安に駆られ、遠く下流方向にある 古丹別 に避難するため家にもどると、あわただしく手廻りの荷物をまとめはじめた。

貧しい開拓民の事情が、事態をさらに複雑なものに。

位置: 1,169
老人にとって、羆はむろん小物ではないし、仕止め甲斐のある大物であるはずであった。が、かれは、ほとんど口をきくこともなくただ男たちに従って移動をつづけてきたにすぎない。猟のことを 淀みない口調で話してきた老人とは別人のようであった。
長い間使用しないために銃が廃銃に近いものになってしまっていたのかとも思えたが、日頃から老人は、銃が猟師の生命だと繰返し言っていたし、不発に終ったことは老人が自ら猟師の資格を失っていることをしめしている。

老人のプライドずたぼろね。

シン・ゴジラみたいだなぁと思ったんですよ、このあたりまで読んで。そりゃ、ゴジラやヒグマは恐ろしい。しかし、自体をややこしくしているのは人間側の組織だったり安いプライドだったりするんだよね、ってこと。

位置: 1,550
「検視をしたいが、殺害現場に行けますかね」
老医は、口もとをゆがめて言った。
炉に薪を加えていた区長は、 苛立った眼を老医と分署長に向けた。現在全力を注がねばならぬのは、六線沢にひそんでいると想像される羆の生命を断つことで、被害者の検視はその後でおこなわれるべきだと思った。検視をしたとしても、それによって得るものは何もない。老医が検視した資料は増毛警察署に提出され、それは書類にまとめられて上部の警察組織に報告されるにすぎない。現地に近い警察署として果さねばならぬ義務なのだろうが、まだ事故は進行過程にあって、それが終結する見通しも立っていない時に、検視などという悠長なことは不必要なのだ。

役人はあくまで役人。
苛立ってもしょうがない。所詮は余所者で、余所者には余所者の生活がある。
しかし緊急事態の当事者にはそんな余裕はないわけです。そして、往々にして物語は当事者に寄り添うのです。

位置: 1,669
「この寒さだ。どの仏も凍っていて腐敗はしていない。早く運び出しな」
医師は、手を布切れでふきながら無表情に言った。
「運ぶことは考えていません」
区長が、即座に答えた。
医師が、いぶかしそうな眼を区長に向けた。
「増毛本署の署長は、検視後すぐに現場から仏を運び下すようにと言っていたが……」
医師は、言った。
区長の顔が、ひきつれた。
「それは、困ります。六線沢の者たちとも話し合った結果、死体はこのままにしておくことにきめたのです」
「なぜだね」
老医の顔に不審そうな色がうかんだ。
「囮 だからです」
区長は、ためらうこともなく言った。
「囮?」
「そうです。もし遺体を下流にはこびおろしたら、クマは餌をとられたものと思って必ず下流方向におりてきます。遺体をこのままにしておかないと人の命がそこなわれます」
区長は、言った。
「そうか。それは、おれに無関係のことだ。あんたたちと警察の問題だ」
老医は、興味もなさそうに言った。

保身やしきたりが緊急事態にいかに野暮なものであるか。
我々は肝に銘じておかねばならないかもしれないですね。続く。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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