『心淋し川』感想1 時代小説はいいねぇ

こう、なんか、むやみにまっすぐなんですよね、時代小説って。
まさにファンタジー。未来よりよっぽど未来。

【第164回 直木賞受賞作】「誰の心にも淀みはある。でも、それが人ってもんでね」江戸、千駄木町の一角は心町(うらまち)と呼ばれ、そこには「心淋し川(うらさびしがわ)」と呼ばれる小さく淀んだ川が流れていた。川のどん詰まりには古びた長屋が建ち並び、そこに暮らす人々もまた、人生という川の流れに行き詰まり、もがいていた。青物卸の大隅屋六兵衛は、一つの長屋に不美人な妾を四人も囲っている。その一人、一番年嵩で先行きに不安を覚えていたおりきは、六兵衛が持ち込んだ張方をながめているうち、悪戯心から小刀で仏像を彫りだして……(「閨仏」)。ほか全六話。生きる喜びと生きる哀しみが織りなす、著者渾身の時代小説。

西條さんの本は今春屋ゴメス以来。
あれはいまいち受け付けなかったけど、本作はビシッと心に来ました。オールドスクールな時代小説。いいね。

心淋し川

位置: 211
縁談などというかしこまった形ではないものの、二、三は嫁入り話がもち込まれたこともあった。いずれも同じ土地の振り売りや薄給の雇人ばかりで、ちほの家に釣り合うのはそれくらいがせいぜいだ。家が貧しく、特に器量が良いわけでも秀でた才があるわけでもない。ここで手を打たねば、行き遅れるだけだと頭ではわかっている。
けれど、どうにも心が動かない。
嫁いだところで、子供を抱え 舅姑 の面倒を見て、亭主の難癖に悩まされる。苦労が増えこそすれ、いまより減ることはなく、我が身だけがすり減っていく。母や姉と同じ先行きを辿るだけなのだ。
あの流れぬ川と同じだ。どこにも行きようがなく、芥ばかりを溜め込んで淀みを増す。
そんな溜まりに、ふいに 清冽 な水が注ぎ込んだ。ちほの前に、元吉が現れた。

余計なことは言わず、単刀直入に物語が入ってくるこの感じ。
好きなんだよなぁ。

位置: 372
狭い店内には長い 床几 が二台、 鉤形 に据えてあり、あいた場所に酒樽が詰まれ脇に 燗場 があった。手前の床几では、客らしき男が三人にぎやかに吞んでいたが、奥の腰掛の端に父の荻蔵の姿があった。

燗場なんて、いい小道具だよなぁ。ぐっと来る。

位置: 433
「兄さんに言われたよ。おれの悩みは、京での修業をどうするかって話じゃなく、ただ、ちほちゃんと別れ難くて切り出せねえだけだろうって」
どうしてだろう。落胆はあるものの、気持ちの奥底は妙に 凪いでいた。
初めて男の気持ちが見えたためだろうか。少なくとも、元吉は本気でちほを好いていた。この幾月かは、ちほのことばかり考えていた。男をこれほど悩ませ迷わせたのなら、女として冥利に尽きる。そんな他愛ない満足が、いまのちほを支えていた。

そしてどことなく奥ゆかしい。限りなく奥ゆかしい。
こういうの、おじさんが好きなのは分かるけど、女性も好きなんかね。

位置: 461
「ただ、その名をきいたとき、どうにも惹かれてね。差配の話を引き受けることにした」
「趣 があるのは名ばかりで、汚い溜まりだと知ってがっかりしたでしょ?」
「いや、そんなことはないよ。誰の心にも淀みはある。事々を流しちまった方がよほど楽なのに、こんなふうに物寂しく溜め込んじまう。でも、それが、人ってもんでね」
あまり説教めいたことを言わない男だ。

誰でも叩けばホコリくらい出るよ。
まったくそうだ。でもホコリ貯めちゃう。そこが人だなぁ。

この差配さんもいい味だすねぇ。

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