『新釈諸国噺』 太宰の最高傑作……かもしれぬ

多少仮名遣いが古く、読みづらいところもあるけれど、我慢して読めば内容はベラボウです。

「無頼派」「新戯作派」の破滅型作家を代表する昭和初期の小説家、太宰治の短編小説。初出は「新釈諸国噺」[生活社、1945(昭和20)年]。全国を舞台にした12編の短編から成り、太宰自身、井原西鶴による全著作から広く題材を求め、物語の舞台も諸地方にわたるように工夫したと述べている。終戦前、太宰の著書のなかで一番売れていたと言われる。

オマージュ、アレンジ、の類なのでしょうか。
西鶴をまるで知らぬので、こういうときに不都合するのねん。

短編集なので軽く読めて、それでいて解釈の幅があって、100点の短編といって差し支えないでしょう。貪るように読んじゃった。

小判十枚を紙に包み、その上書に「貧病の妙薬、金用丸、よろずによし。」と記して、不幸の妹に手渡した。  女房からその貧病の妙薬を示されて、原田内助、よろこぶかと思いのほか、むずかしき顔をして、「この金は使われぬぞ。」とかすれた声で、へんな事を言い出した。女房は、こりゃ亭主もいよいよ本当に気が狂ったかと、ぎょっとした。狂ったのではない。駄目な男というものは、幸福を受取るに当ってさえ、下手くそを極めるものである。
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皮肉。ユーモラス。
いいじゃないですか。ね。どことなく落語的でもあります。

私だとて木石ではなし、三十四十になってからふっと浮気をするかも知れない、いや、人間その方面の事はわからぬものです、その時、女房が亭主に気弱く負けていたら、この道楽はやめがたい、私はそんな時の用心に、気違いみたいなやきもち焼きの女房をもらって置きたい、亭主が浮気をしたら出刃庖丁でも振りまわすくらいの悋気の強い女房ならば、私の生涯も安全、この万屋の財産も万歳だろうと思います、という事だったので、あるじは膝を打ち眼を細くして喜び、早速四方に手をまわして、その父親が九十の祖母とすこし長話をしても、いやらし、やめよ、と顔色を変え眼を吊り上げ立ちはだかってわめき散らすという願ったり叶ったりの十六のへんな娘を見つけて、これを養子の嫁に迎え、自分ら夫婦は隠居して、家の金銀のこらず養子に心置きなくゆずり渡した。
at location 920

この極端さ、そしてそれがまかり通るファンタジーとしての面白さ。
寓話的とも言えるのかね。不思議な世界。好み。

中には『武家義理物語』だとか『日本永代蔵』だとかからの引用があります。教科書に乗っているくらいの古典ですが、読んだ人は殆どいないという。こうして太宰の手によって翻訳意訳オマージュされると、読みやすくって面白い。

また、落語ではおなじみ「青砥左衛門尉藤綱」さんも登場します。
銭を粗末にすると
「天下の通用金に何をする、お宝てぇくらいのもんだ。昔、青砥左衛門尉藤綱という人が、川に落とした10文を50文使って探させたという話もある」
というようなことを言って聞かせますね、大概大家さんが、かな。

まとめ

とかく面白い。『人間失格』や『斜陽』、『走れメロス』『女生徒』『ヴィヨンの妻』『津軽』などなど、思えば結構太宰って読んでるんですけど、中でも最もおすすめかな。

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