『少年の名はジルベール』感想_1 人間で最も厄介な感情は嫉妬

どんどん、この考え方が強まります。
承認欲求なんてメじゃないくらいシンドい感情。
少女漫画の巨塔すらも飲み込まれている。

石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。
高校時代にマンガ家デビューし、
上京した時に待っていた、出版社からの「缶詰」という極限状況。

のちに「大泉サロン」と呼ばれる東京都練馬区大泉のアパートで
「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。

当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を見事に描ききり、
現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築く大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話。

そして現在、教育者として、
学生たちに教えている、クリエイターが大切にすべきこととは。

1970年代に『ファラオの墓』『地球(テラ)へ…』など
ベストセラーを連発して、
少女マンガの黎明期を第一線のマンガ家として駆け抜けた竹宮惠子が、
「創作するということ」を余すことなく語った必読自伝。

これを読んで、あたくし買いましたよ、『風と木の詩』。
むしろこれ読んで、『風木』を未読でいられる人っているのかしら。

位置: 157
その人との出会いが、さらに私の運命を大きく広げた。
萩尾さんと私の出会いだけでも、萩尾さんと増山さんの出会いだけでも奇跡的なことだが、三人が出会うことになったからこそ、その後、同居してマンガを描くという奇跡が起きた。
私たち三人が一緒に住んだ場所は、のちに1970年代少女マンガの基礎を築いた「大泉サロン」と言われるようになる。そこには、「 24 年組」と呼ばれることになる私たちの物語が詰まっている。

後に暗雲立ち込める匂いが、すでにしている。
この増山って人がまた、面白いんだ。

位置: 185
そこで1年間だけと自分で条件を付けて、いったんマンガから離れていた。  幾つかの編集部に「1年間だけ休みます」と休業の連絡をして、この学生運動について考える時間を持った。多くの人々と議論し、集会にも参加した。学内を占拠するようなグループとも接触し、考えた結果、私なりの答えにたどり着く。
「私の革命はマンガでする」
きっかり1年後、「総括」をした私は、大学を辞めてマンガ家になると決めたのだった。

この学内占拠グループとの接触とかも聞いてみたいね。
しかし、やっぱり迷って迷って生きる人だ。親近感。

位置: 390
とある夜。 10 時ごろだったことは、よく覚えている。
私は部屋に飾られた『ダフニスとクロエ』のポスターを眺めながら、頭のなかに現れる妄想をなんとか絵にしようと必死になっていた。
「これ……これは何なのかな。……すごく自分とぴったりくる!」
「このキャラクター、今まで描いたこともない顔なのに、自分のキャラって気がする」
「少年の名はジルベール。絶対に、それ以外じゃない」

憧憬がすごい。しかし、正しい。売れたからね。
ダフクロ、吹奏楽のイメージしか無いなぁ。これも『響けユーフォニアム』の影響でしかないんですけどね。

位置: 433
少年が持っている細くて不安定で、そんな薄紙一枚の時期にしかない透き通るような声。身体も声もあともう少ししたら絶対に消えてしまうとわかっている残酷な美しさ。稲垣足穂は、『少年愛の美学』ではっきりとそれを説明している。

タルホっていうとエウレカセブンしか思い浮かばないのは無教養ゆえ。
ちょっと稲垣足穂さん、読んでみます。

位置: 651
増山さんは旗を持って先頭に立つガイドのような存在だった。幸い彼女の高校時代までの友人の何人かがすでに留学をしていて、いち早く海外の情報を得ることに不自由はなかった。
著名なオーケストラの来日公演があると聞けば、「これをヨーロッパにまで聴きに行こうと思ったら何十万円じゃきかない」と言うし、美術展で高名な画家の回顧展があると聞けば「こんなことは私たちが生きている間は、もう二度とない」と言う。続けて、詳細を説明してくれる。そういった解説の一つ一つが大げさであればあるほど、それを観に行くまでの期待感は高まっていった。

なんだかすごく嫌味な人のように思えるけど、きっとカリスマなんだろうな。
地を這うような貧乏くさい話は嫌いで、純粋にクラシックなものだけを追求する。存在としては面白いし、真に審美眼がある人なんでしょうけどね。

位置: 660
大泉に移ってからは、今まで以上に映画や絵画を観に行く機会が増えた。私自身の文化度は飛躍的に向上した。
「それにしても、音楽も聴いたことがない、絵画も観ていない、何もしてないって、ないない尽くしで、今まで何を土台にして物語を作ってきたの?」

そういう人間に、お前はでも創作の点で劣ってるけどな、と言いたくなる。
もちろん敵う人なんていないんですけどね。

位置: 664
一番よく行った映画館は池袋の文芸坐だった。いつも3本ぐらいを同時上映していた。3本で450円とかだ。もちろん3本とも全部観る。どうせ1回外出するなら、1本も3本も同じだ。抱き合わせの映画が予想に反して面白いと嬉しかった。興味を抱いていなかった映画が、かえって刺激を与えてくれることがある。私は、文芸坐のそんなところが気に入っていた。
観終わったあとは、決まってお茶会になった。喫茶店に入って食べたり、飲んだり、そしておしゃべり。
増山さんは、その映画に関する細かい情報を教えてくれた。その監督がどんな経緯で世に出てきて、注目され始めたのか。その背景とか、俳優たちが過去にどのような作品に出ていたかとか。脚本の優れているところはどこか、伏線の張り方や物語の構造について詳しく話すのだ。

貴重な時間だね。
あたくしにはそんな友達はいなかったなぁ。文芸坐に一緒に行ってくれるような。

位置: 677
増山さんが物語中心に映画を観るタイプだとしたら、私たちはビジュアル中心に観ている。

あたくしも増山さんタイプだ。

位置: 681
同じ映画を何回も繰り返し観る人がいる。増山さんがそのタイプで、いつもどうしてだろうと不思議に思っていた。というのも、私は短期間に繰り返して観ると、感想が変わってしまうので、そういう鑑賞法を好まない。

しかしここではちがう。あたくしはそんなに何度も同じ映画は観ない。
二度見れば、まぁ、大体は満足。一回目で物語を。二回目で伏線を回収しておしまい。そんな感じ。だから深い考察が出来ないのかしらね。

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