西村賢太著『芝公園六角堂跡 狂える藤澤清造の残影』感想 スタイリステストな作品

他界されたということで、追悼でもないですが、読んでます。リズミカルだよね、ほんと。

ここ数年、惑いに流されている北町貫多。あるミュージシャンに招かれたライブに昂揚し、上気したまま会場を出た彼に、東京タワーの灯が凶暴な輝きを放つ。その場所は、師・藤澤清造の終焉地でもあった――。何の為に私小説を書くのか。静かなる鬼気を孕む、至誠あふれる作品集。「芝公園六角堂跡」とその続篇である「終われなかった夜の彼方で」「深更の巡礼」「十二月に泣く」の四篇を収録し、巻末に、新たに「別格の記――『芝公園六角堂跡』文庫化に際して」(18枚)を付す。

売れちまった後に書く、己の本分を取り戻す話。

芝公園六角堂跡

位置: 500
これはもしや、との一縷の望みのもと、古書店で売価三十五万円の値がついた、無削除本函付きの完品を借金して手に入れ、三読目でようやくにその全文にありついた。
そして更にこの私小説家の他の創作、随筆の掲載誌を渉猟して次々と読み、貫多は、やはりこれは自分にとっての救いの神であることを確信した。
一縷の望みは無いものねだりの幻想ではなく、彼の心に確かな手応えを感じさせたのである。  こうなれば、最早、泣いている場合ではなかった。

そういう存在に出会えるというのは、本当に幸せなことだ。
視野狭窄こそ、凡人が唯一、天才に敵うことができる手段なのかもしれないですね。

位置: 797
かようなライブに招かれて、はな、それが師の終焉の地であることには目をつぶり、ただもうバカのようにうっとりと上気していた自分が、みっともなくってならなかった。

こういう瞬間、ある。布団の中で思い出すやつ。

深更の巡礼

位置: 1,044
むしろこれは読者への配慮なぞではなく、有名大学出身、一流出版社在籍自慢の編輯者が、ただムヤミに一般読者の漢字判別能力をバカにし、見くだしている心情のあらわれなのではないか、と疑いたくなるような執拗な振りかただ。文庫本の小さいサイズの行間の中に、これだけいちいちルビが振られていては、却って読みにくくってかなわない。
そしてまた、校閲者によって鉛筆字で書き込まれているところの、差別語に対する、まるでしたり顔風の細心な指摘も目ざわりで仕方がない。

こういうの読んで、ニヤリとする、あたくしも含めた読者の性格って、けっして良くないよね。でも、ニヤリとしちゃう。でも、深更(しんこう)とか読めないよね、ふつう。

位置: 1,061
これは二百枚程の長さであるが、正直云って貫多は、巷間においては英光の代表作で通っているこの中篇をさほど好んではいない。むしろ該作よりも、晩年の「酔いどれ船」なり、戦後共産党活動の理想と脱落を描き、政治と文学の弁証的統一を先駆的に試みた「地下室から」なりの、どちらかの長篇を多少紙幅に無理を云わせてでも収録したかったのである。

残念ながらその「さほど好んでいない」作品しか読んでいない。また読まねばならない作品が増えましたね。

十二月に泣く

位置: 1,368
変わったところと云えば、ごく最近になって山門の左側には行政サイドが取り付けたらしき、この寺の境内中の旧跡を示すプレートが目を引くのだが、〝奥州藤原四代・鎮守府将軍 藤原秀衡ゆかり〟だの、〝初代 宮崎寒雉梵鐘〟だの、〝第六代横綱 阿武松顕彰碑〟だのの案内はあっても、そこに〝藤澤清造〟の墓碑の存在を指したものは加えられていなかった。

おおのまつ!近いだろうなぁ、とは思っていましたが、やっぱり近かったのか。偶然だね。

文春図書館 著者は語る 『芝公園六角堂跡』西村賢太

位置: 1,579
「ただ泉下のその人に認めてもらう為だけに私小説を書き始めたのに、最近は書く理由がずれてきていた。有り体に云えば、名誉欲が勝ってしまっていたんです」

そういうのを素直に認めて書ける、この人ってやっぱり客観視は出来ているんですよね。なのにあんな視野狭窄な文章も書ける。根のスタイリスト性と行動の野暮さが、まったく飽き足らないですね。

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