小林賢太郎著『僕がコントや演劇のために考えていること』 啓発本だね

小林賢太郎らしい、ユーモラスな啓発本。

「アイデアは思いつくというよりたどりつくもの」。面白くて、美しくて、不思議な世界を創造し続ける希代の劇作家にしてパフォーミングアーティストが初めて明かす、99の“創作の源”。

自己啓発本の性というか、どうしても「どうです、僕は特別ですよ」感が出ちゃうんですね。ハニカミながらそれをいうコバケンさんもアリだと思える方なので楽しめましたが、やっぱり自己啓発本は苦手です。

小林賢太郎という職業

位置: 95
横浜育ちです。絵を描くことと、お笑いと、マジックが好きな子供でした。予想どおり美術大学に入り、オチケンの部長になり、アルバイトはマジック用品の実演販売でした。

コバケンの落語きいてみたいなぁ。

テレビにはあんまり出ないようにしています

位置: 143
次に「知名度を必要最低限に抑えたい」ということ。観客がエンターテインメントにお金を払う動機にもいろいろありますが「テレビで観たことのある有名人を生で見られるから」という理由は、僕の作品に向けてほしくないのです。

客のクオリティって大事よね。それを選べるレベルにいるのは本当に羨ましいこと。

位置: 148
以前、ある地方で公演があったとき、大きな劇場で上演回数も多めだったため、テレビコマーシャルを打ちました。おかげでたくさんのお客様にお越しいただいたのですが、こんな意外な言葉を聞きました。「テレビでコマーシャルをやるなんて凄い」。
これがメディアに対する幻想です。本当に凄いんだったら、チケットは売れ、コマーシャルの必要などありません。

たしかにね。そんな皮肉で言ったわけじゃないだろうけど。

小林賢太郎は劇場にいます

位置: 166
舞台の魅力は、観客がある程度の努力をしている、というところにもあります。チケットを買う、予定をたて、劇場まで行く。そういう「観たい」という観客側からの努力。これと「観せたい」というエンターテイナーの努力がぶつかり合う。そうして生まれる独特の高揚感が、劇場にはあるのです。

あたくしの落語会はいまだに入場無料・予約不要なのだ。悲しいかな。
別に変えるつもりもないけどね。

情報を制限して、観客のパーソナルに入り込む

位置: 208
作品の中にある情報を制限することによって、観客は強制的に頭脳労働させられます。足りない情報は、自分で補ってしまうのです。これを積み重ねることで、観客はグイグイ作品の中に取り込まれていきます。

落語ってまさにそれ。
その補うという行為が、集中力を高める。大切な余白ね。

自分は何が好きなのかを知り、なぜ好きなのかまで考える

位置: 253
「自分は何が好きなのか」。これを知ることは、表現者にとって大事なことです。しかし、もっと大事なのは「自分はなぜそれが好きなのか」までをきちんと知るということです。

表現者でなくても大切。

談志師匠がよく言ってましたね。分解しろってね。

位置: 257
「何が好きか」だけを集めても、それらを真似た作品しかつくれません。しかし「それがなぜ好きなのか」ということは、自分の中に答えがあることです。オリジナルを生み出すためのヒントをつかめるのです。

そういうことだよね。

集中できててもできてなくても、作りかけの作品からからだを離さない

位置: 335
よく「子供の方が記憶力がいい」なんて聞きますが、僕はあんまり関係ないと思っています。たとえば、子供がアニメのキャラクターやおもちゃのことをあっというまに覚えてしまうのは、脳の若さもあるかもしれませんが、そのことだけを考え続けているから、ということもあると思うのです。大人はそうはいきませんからね。

その感覚はあるな。あたくしも物覚えが悪くなった意識はない。というか子どものころからあんまり記憶力に自信はない。

位置: 340
でも、その極度の集中力が出せないからって、困ることもべつにありません。集中力が続くとか続かないとかって、僕にとってはそれほど重要な問題ではないのです。それよりも、自分のそのときどきの集中力とうまく付き合うことを大事にしています。気が散りながらだって、速度や質の違いはあれど前進はします。あるいは前進のための心の準備は進んでいるのです。いつになるかはわかりませんが、そのうち必ずエンジンがかかってきます。だから、つくりかけの作品からは、とにかくからだを離さないようにしています。

心強い言葉。とにかく身体を離さない。大事ね。
机に座っているだけでいい、ってやつ。
集中はできるときにすれば良い、と思っていると楽ね。

我慢ではなく努力、後悔ではなく反省

位置: 376
作品をつくること、それを練習して人前で演じるということは、とても難しくて大変なことです。けれど、産みの苦しみよりも産まれたときの喜びの方がちょっとだけ大きいのです。だからやめられないのです。

そのモチベーション、大切にしたい。
あたくしも作りはしないけど、人前では演じるからね。

「誰とやるか」「どこでやるか」より「何をやるか」

位置: 390
うっかり「こんな凄い人と仕事ができたら凄いな」とか「こんな凄いところで仕事ができたら凄いな」などと、変な欲が出てしまったときは「自分を額装しない」ということを心がけるようにしています。

自分を額装しない、いい言葉だね。
よく人間は虎の威を借る狐になるからね。

観客は拍手のしやすさに拍手をする

位置: 766
コントや演劇のおしまいに観客が拍手をしてくれると、本当に嬉しい気持ちになります。実はこの拍手という行動は、もともと日本にはなかったらしいのです。
音楽であれ演劇であれ、エンターテイナーがショーをやったら、最後には拍手をする。これは古くから西洋にあった習慣です。これが、明治時代に日本に伝わってきて、今の私たちの拍手があるんだそうです。ということは、歌舞伎や落語のあとに江戸時代の人たちは拍手をしていなかったんですね。

落語のサゲのとき、どうするか問題ね。
あたくしは分かりやすいほうが大切だと思うから、あえてクサくやることにしています。芸がないからだと言われればそれまでですがね。

台本は「覚える」というより「知っている」という状態にする

位置: 935
そうやって台本の使い方を探り出していくうちに「その台本を知っている」という状態になっていく。これがセリフの理想的な覚え方です。

まちがいない。


まとめ

読んでいて、身につまされる思い。
稽古、頑張ろう。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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