『教養としての社会保障』感想② 政治を語るというのは難しい #教養としての社会保障

やはり政治の話は苦手です。

どうして政治の話は難しいのか。好きな芸の話とか映画の話、音楽の話ならいいのに。話す方も話される方も、どっちもいい気持ちにならないのが政治の話。
普通に接するなら良い人なのに、政治のこととなると途端に融通の効かない人っていますでしょ。あれね、不得意。ノンポリなどと言われようが、あたくしは政治の話は避けたい。

強いて言うならあたくしゃ、野党を指示するというのが政治思想かしら。

誰だって信用できないし、誰かの方を強烈に持つということもない。だからこそ「ヘマしたら変えられる」という危機感を政権側に持ってもらうことくらいしか、自分から直接できる政治はない。

あとは、自分の主義主張を生き方で現していくこと。これに尽きますな。

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申し上げたように、そもそも、「少子化対策」という言葉自体が、マクロの発想の上から目線の言葉に聞こえます。言われた女性はあまり気持ちよくないはずです。私の娘たちも批判的です。少子化対策のために子どもを産みましょうと言われたら、私たちは子作りマシーンじゃないよと、そうなります。  「あなたの人生選択を保障します」「仕事も、家庭生活も、子育ても、あなたの人生を全力で支援します」というメッセージがなければ共感は得られない。少子化対策ではなく、家族政策であり、家族・子ども政策でなければ、女性の就労率の上昇も、出生率の上昇も望めないと思います。

少子化対策ではなく、家族政策であると。そのとおりね。どうしてもおじさんは上から、マクロからの視点が好きすぎる。

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いろいろな働き方をする人がいるのは、本人の都合だけではなく、社会や会社がそのような働き方を必要としているからです。働き方の多様性を容認し、「落ちこぼれ」や「排除される者」をつくらない制度を設計し、社会統合を実現していくのが政府の責務です。

それが上手く行っているかどうかの一点において、政治を評価するという考えも出来ますね。

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現場行政官の戒めに「できる限り多くの現場に足を運べ。そしてたくさんの人の声を聞け」というのがあります。もちろんこれは当たり前のことですが、これには続きがあります。  「そうすれば、現場の何が真実で何が噓だか分かる」。  「現場には真実がある。だが同時に、現場は往々にして噓をつくことがある」。  これは、多くの行政官の実感です。現場の何が真実で何が真実でないか。

いい言葉ですな。現場には真実があり、また現場は往々にして嘘をつく。至言です。これは行政官に限らず。人間は嘘をつく生き物ですから。

いい本でした。至言に満ちた。

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