清水潔著『南京事件を調査せよ』感想 確実に存在はしてるよね

世の中には「なかった」とする人々がいて、しかもそれが結構少なくない数だと聞いて、本当かよと思い読了。

ま、「なかった」としたい人々にあるのはあくまで思想で、史実にするには無理があるよね、という感想。それにしても今回も清水さんは今回も語る語る。

なぜ、この事件は強く否定され続けるのか?
戦後七十周年に下された指令は七十七年前の「事件」取材?

「知ろうとしないことは罪」と呟き、西へ東へ南京へ。
いつしか「戦中の日本」と、言論の自由が揺らぐ「現在」がリンクし始める……。
伝説の事件記者が挑む新境地。

あたくしも薄弱ながら思想があって、それは清水さんに近いところもあります。しかし、それにしても、「なかった」としたい人たちの考えは好きになれない。

まえがき

位置: 23
「俺にとっては右派も左派もない あるのは真実か真実でないかということだけだ」
ボブ・ディランの言葉だが、振り返れば私の記者人生はまさにこれだった。

お決まりの自分語り。ほんと、自分語りの好きな人だな。

第一章 悪魔の証明

位置: 93
なぜそんな事態に至ったのか? という「流れ」が無視されているような気がしたからだ。日本はある日突然、被害国になったのか? 戦争である以上そんな馬鹿な話もないであろう……。

被害者面が楽なのは間違いない。同情してもらえるからね。
しかし、その態度が潔いかというと別の話。

位置: 144
そもそも日本政府はどんな立場を取っているのか?
外務省のホームページを見ればこう記されていた。
〈1.日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年) 後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
2.しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
3.日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です。〉
非戦闘員の殺害や略奪までを認め、詫びていた。

まず外務省の態度を押さえるのは大事。つまり公式には上記の通りという態度をとっているわけだ。

位置: 371
要するに、上海派遣軍の任務は上海近辺に在留していた「邦人保護」であった。当時の上海には二万人を超える日本人が在住していた。

邦人保護、からの侵略。現在ロシアがウクライナにやっていることと全く同じですね。

位置: 432
首都だった南京には各国の公館があり新聞社の特派員がいたのである。迫り来る日本軍に対し避難した記者もいたが、陥落まで取材を続けた記者もいる。結果、アメリカのシカゴデイリー・ニューズやイギリスのマンチェスター・ガーディアンなど、数紙で記事になっていた。

欧米の新聞にも記事があるわけだ。

位置: 441
<(略)南京を恐怖の街に一変させた〉〈多くの中国人は妻や娘が誘拐され、強姦されたと外国人に訴えた。中国人は必死に助けを求めたが、外国人はなすすべもなかった〉
同じニューヨーク・タイムズ1938年1月9日版では、
〈日本軍による大量殺戮で市民も犠牲──中国人死者33000人に〉などと特集されていた。

うーむ、ニューヨーク・タイムズやシカゴデイリー・ニューズ、マンチェスター・ガーディアン。このあたりが記事にしている。

第二章 陣中日記

位置: 778
それにしても、よくもこんな日記を他人である小野さんに預けたものである。 「日記を見せてくれる人は、不思議なんだけど共通点があるんですよ。経済的に恵まれていて、現在の生活に余裕があって……、そしてこれが重要ですけど、家族関係がうまくいっている人なんです」
家族や周囲に対し南京での出来事を隠している人は多い。虐殺行為はもちろん婦女子に対しての強姦、強奪、放火……。直接手を下していなくても疑惑を持たれるかもしれない。

でも、こっそり焼いちまうわけにもいかない。だから、ちゃんと保存してくれる人で、自分の家族に迷惑がかからないようにしてくれる人、ってことで小野さんに預けたんだろうな。気持ちは分かる。

アイヒマン裁判じゃないけど、こういう人たちを責める気にはならない。むしろ、日記を残してくれて、感謝したい。

位置: 791
「機関銃を持ってきて、バババーッと捕虜に向かって撃っちゃったんだ。捕虜はみんな死んだけど、『中には弾に当たらない兵隊がいるかもしれないから、みんな着剣して死骸の上を突いて歩け』と。ザッカザッカ突いて歩いた。おそらく……そうだな 30 人くらい突いたと思う」
そしてこうも告白していたのである。
「何万という捕虜を殺したのは間違いねえ」
「俺は生きて帰って、しゃべって、それから死にてぇなと思ってたんだ……」

なんという……。

第三章 揚子江の惨劇

位置: 1,640
伍長が書き遺した四枚目のスケッチの余白にはこう記されていた。
〈この時の撃たれまいと人から人へと登り集まるさま。即ち人柱は、丈余になってはくずれ、なってはくずれした……〉
丈余。
一丈は約3メートルのことであり、丈余ならばそれ以上の高さだ。
私は、李自健が描いた「南京大屠殺」を思った。虐殺記念館で見たあの絵だ。
日本兵の背より遥かに高く積み重なった大量の死体。それは殺害後に死体を積み上げたのではなかったということか……。

死を恐れ、人が人の上に登り集まるさま。地獄だ。蜘蛛の糸だ。

第四章 兵士たちの遺言

位置: 1,803
当時の人口十数万人というのは、南京城内の「安全区」の人口であり南京周辺の人口としては100万人前後と言われていること。ニューヨーク・タイムズやワシントンポストなどでは「南京事件」が報じられていることを指摘した。

そうなりますね。

こんな事言う人、いまだにいるからね。

位置: 1,879
しかし「南京事件」を放送するなら「通州事件」もやれという主張は相当に異様に思えた。

お互い様じゃないか、ってことね。
公平にってのは分からないでもないけど、だからって、南京事件の正当性とはなんら関係ない。

位置: 2,005
サンケイ新聞(当時表記) では「蔣介石秘録」という連載を展開していた。これは蔣介石の米寿を記念して1974年から始まった企画記事だという。
その497回目で「南京大虐殺」を報じているのだ。

産経新聞自身が、過去に南京大虐殺を報じているわけだ。

第五章 旅順へ

位置: 2,375
28 歳だった父はスプーンを口に入れたまま涙した。
結局、強制労働は3年半続いたことになる。

えげつない時代だ。シベリア抑留とか、自分だったら人格変わっちゃうだろうなぁ。

終章 長い旅の終着

位置: 2,618
「私ども日本人としてのね、浮かばれないというか、国益を明らかに害されたまま、国民がですよ、国際社会の中で顔向けできないようなことになっているのではないかな、と思っています」
国益。
顔向け。
私は「南京事件」という舞台で衝突していたのは「肯定派」と「否定派」だと思っていた。しかしその真の対立構図は「利害」と「真実」だったらしい。

自民党原田氏の発言。
ま、この切り取りも悪意はありそうですね。

偉い人が「顔向け」とか言い出した時点でもう利害じゃないですか。あなたの問題ですよね?矮小化しないで欲しい。ってね。


まとめ

相変わらずアクの強いルポをお書きになる、清水氏。
南京大虐殺について知る良著でした。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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