『わたしの名は赤(下)』感想 あとがき……前に書いてよ!

あとがきを最初に読めばよかった。

細密画師の惨殺事件につづき、第二の殺人が起きる。いまだ捕えられていない犯人の動機は、すべてあの装飾写本にあるのだと囁かれる。皇帝の命令により、カラは犯人を探すことになった。だが、一連の事件は、恋仲となった従妹シェキュレとの新生活にも暗い影を落とす――個性豊かな語り手たちの言葉から立ち上る、豊穣な細密画の宇宙。東西の文化の相克と融和を描き出し、世界が激賞した第一級のエンターテインメント大作!

結構、トルコ文化の基礎知識が求められる場面が多くてね。さり気なく読み飛ばし気味だったんですけど、あとがきでちゃんと書いてくれていました。

位置: 365
つまり、西欧の名人たちの新たな画法は異端どころか、わたしたちの信仰にもっとも 適った様式だということだ。ああ、エルズルム派の方々よ、誤解しないでほしい。なにも、恥知らずに半裸同然で表を出歩く西欧の異教徒の女どもや、珈琲や美童の美味を解さず、顎鬚も口髭もそり落として、女のような長い髪でうろつく西欧の男どもがいいと言っているのではないし、預言者イエスが神ご自身だ――なんたる冒瀆!――などという言い草は不愉快この上ない。いや、怒りさえ覚える。もし連中の一匹が目の前に現れたら、きつい一撃をお見舞いしてやるつもりだ。

逆転の発想。この本はミステリでありながら多分に比較文化でもある。
ちゃんとトルコをもう少し理解してから読みたい気持ちもあります。

位置: 1,801
馬の描き方で、わたしが誰かわかったかい?  馬を描けと言われた瞬間、わたしには察しがついたよ。これは競い合いなどではない。その描いた馬からわたしが誰か探り当てようとしているのだ。手慰みに馬を描いた粗紙を、〈優美〉殿の死体に置いたままにしてきたのは知っている。しかし、あの習作にはわたしに特有の瑕瑾も技法もありはしないのだから、さっき描いた馬を見たところでばれないだろう。そう確信してはいても、やはり馬を描くときは怖かったがね。おじ上のあの書物の馬の絵に、正体が露見するような痕跡を残してしまったろうか?

犯人の独白がちょくちょく入るミステリって珍しいかな。
しかし絵の技法が手がかりになるなんて、ちょっとした非科学調査ね。それが証拠にでもなる社会ってなんだか怖いわね。

位置: 2,872
そうして、絵付けを施すダチョウの卵の先端に穴を開けるときのようにためらいなく敢然と、しかしそっと、針を右の瞳に刺し入れた。針の動きが感じられたわけではないが、それが刺さるところを目の当たりにして心が押しつぶされそうになった。それでも、針を指の四分の一ほどの深さまで刺してから、引き抜いた。

春琴抄以来の自ら目玉を刺す描写。読んでいてウエエってなりますね。
ちょっと目を背けました。

位置: 3,348
ああ、その囁き声を聞いてわかったよ。シェキュレは自分がハサンを愛しているって、あたしに知ってほしいんだってね。でも、カラと結婚したからこそハサンを想うようになったんだって、この娘は気づいているのかね?

とんだクソビッチじゃねぇか。

位置: 3,552
さてさて、あなた方親愛なる細密画師や書家の皆さんに、家族が出かけたあと母や叔母の下着や服を一枚ずつ身につけていったとき何を感じたのか教えて差し上げましょう。あの日理解した女になることの妙味をね。まずはじめに言えるのは、幾度も本で読んだり、説教師から聞かされたのとは逆に、女になったからといって悪魔になったような気にはならないということです。
真実はその正反対でした。

次は女装の紹介。なんの本なんだ?って思うけど、意外と読みやすかったりする。
トルコ文化にも女装や下着へのフェチズムがあって安心しますね。

位置: 3,793
「それでもあなただって、綺麗な顔をして、可愛らしい眼差しの天使のような気性の徒弟を打ち据えるとき、愉悦のあまりについつい一線を越えてしまうことがあるだろう? 自分と同じことをオスマン棟梁がしていたのもわかっているんだろう?」
「大理石で出来た艶出し石で耳の下をしこたま殴られて、何日も耳鳴りがやまずふらふらしていたことならある。あるいはひどい平手打ちを食らって、何週間も涙が止まらず、頬が痛んだことも。よく覚えているさ。でもオスマン棟梁を愛している」
「いいや。彼に腹を立てていたはずだ。だからこそあなたは、心の底に溜まっていた鬱憤を晴らそうと、おじ上のあの書物に西欧人の様式で絵を描くことで復讐を果たそうとしたんだ」
「お前は細密画師のことがこれっぽっちもわかっていない。真実はその逆だ。

師弟関係からくる愛憎入り交じった感情。
日本では師弟の肉体関係は結構普通だったと聞きますから、余計にそういうことはあったのかもね。トルコも同じか。

位置: 4,445
「大きな罪とは?」
「わたしが同じことを尋ねると〈優美〉は、〝まさか知らなかったのかい?〟とばかりに目を見開いたよ。……この幼馴染も、わたしたちと同じにずいぶんと歳をくったものだと思ったものさ。可哀想な〈優美〉はこう答えた。〝不敬にも遠近法を使っているんだよ。あの絵は神がいかに世界をご覧になっているかには頓着せず、僕たちの目に映るそのままに――西欧人どもがしているのと同じさ――描かれているんだ。

そこまで遠近法を使うというのが罪かね。
よくわからん。神というものを本気で絶対視している人の発想だろうな。自分はあんまり神を絶対だと思っていないので。

位置: 4,847
あなた方に一つだけ秘密を教えてあげる。あの死臭の滲みついた部屋でわたしが昂ぶりを覚えたのは、それを口に含んだからではありませんでした。わたしが興奮したのは、あの部屋でそうしていたということそのもの、つまり、まるでこの世界そのものが脈打つかのような鼓動を口内に感じながら、中庭でお互いにののしり、押し合いへしあいしている息子たちの嬌声に耳を傾けることだったのです。
せわしなく口を動かしてはいたけれど、いつもとはまったく違う目つきでわたしの顔を見つめるカラの表情は見逃しませんでした。

そして結局口淫するという。
結局やるんかい!

訳者あとがき

位置: 4,981
パムクという作家は「トルコのポスト・モダン小説の旗手」のような紹介をされることも少なくない。たしかに本作でも、東洋絵画と西洋絵画の相克に対峙した芸術家たちの葛藤というスリリングなテーマを通して、伝統と近代、あるいは自己認識と他者認識といったポスト・モダン小説にふさわしい問題意識が浮き彫りにされているのだが、粗筋を一読すればわかるとおり、この『わたしの名は赤』ではそこに歴史小説、推理小説としての娯楽性や神秘性が混ざりあい、イスラムの細密画――ミニアチュールとも呼ばれる絵画芸術――といういまは失われた美麗な世界を通して、滅びゆく東方の文化世界が絢爛豪華な装飾写本さながらに描き出されている。

そうだろうね。だからこそ、無知には読み取れぬ。
恥じ入るばかりだけど、事実だね。くどい、とすら思うよ。

位置: 5,001
まず物語の中にたびたび登場する珈琲店は、珈琲や水煙草などを供するほか、短い小噺を演じる噺家や、叙事詩を朗誦する講談師、あるいは即興詩人などが客を楽しませた庶民の社交場である。十六世紀半ば、帝都に最初の珈琲店が開店するや、またたく間に帝国の諸都市へと広まったが、覚醒作用を持つ珈琲はアルコールなどと同様に人間の理性――イスラム教における理性は、神の示した正道を認識するための重要な要素とされる――を麻痺させると見なされ、この物語の翌年、1592年以降にはたびたび禁令が発せられるようになる。ただし、これは宗教的な大義名分にすぎず、実際には帝国の支配階層の人々が、民衆が珈琲店に屯して不穏な世論を形成するのを危惧したためでもあった。

贅沢を禁止する権力者の多いこと。
しかし理性というものを重んじる理由が「神の正道を認識できなくなる」ってのがまた、はっきりしていていいね。

位置: 5,010
社会不安を助長したのは珈琲店だけに留まらない。当時の帝都にはメヴレヴィー教団やハルヴェティー教団などの神秘主義教団の修道場も数多く置かれ、貴賤を問わない人々が出入りしていた。たとえばメヴレヴィー教団は音楽に合わせて舞いながら――今日でもセマーという儀式が観光客向けに演じられている――神との合一へと至ろうという異教的な儀式を執り行い、ハルヴェティー教団は苦行や静修を重んじ、夢占いを得意とするなど、いずれも正統的なイスラム教の教義とは異なった形の信仰生活を送っていた。物語の中でとくにクローズアップされるカレンデリー教団は明確な教団組織を持たず、現世的欲求や富を否定し、流民として物乞い同然の生活を送った修道僧たちの総称で、ときに過度な清貧をかかげたために弾圧され――このあたりはウンベルト・エーコの『薔薇の名前』に登場するドルチーノ派によく似ている――ベクタシー教団のような別の教団に身を隠す者も多かった。歴史的に見れば、こうした神秘主義教団は音楽や詩歌に秀でる多くの優れた芸術家を輩出し、人々の信仰生活に一定の秩序をもたらしたのであるが、その反面、正統的なイスラムに照らせば異端につながりかねないさまざまな要素を孕んでもいた。

日本でも踊り念仏なんてあったね。あぁいう高揚感みたいなものを利用する宗教家は共通して多いってことだろうね。

位置: 5,040
いや、むしろ登場人物たちの多くは、サファヴィー朝のタブリーズやガズウィーン、あるいはその前の時代に栄えたティムール朝のヘラート、サマルカンドといったペルシアの都の名を憧れまじりに口にし、ベフザードのようなペルシアの天才絵師に心酔し、『王書』や『ホスローとシーリーン』のようなペルシアの韻文物語の一節を口ずさんでいる。

ほんと、古典持ち出されちゃうと、無知には辛いのよ。
そういうことを知ってからまた読みたいね。しかし、あとがき!そういうことは早めに言ってよ。

いつか再読したい。半分も理解できていない気がする。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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